spoon_knights_2のコピー107

銀匙騎士(すぷーんないと) (27)

 それでいい、また、今度は蜚蠊(ごきぶり)走りに突撃してくる。さっきの巻きもどしで、小さくなったり、大きくなったり。女の子も、まだ手を出したままだった。
 いま、つかめたのだ。
 安稜(あろん)、化物虫の眉間に足をつっぱって、思いのほか、それはうまくいったのだが、七尺の球型登枠(ぐろーぶじゃんぐる)のてっぺんから飛びおりたみたいに、衝撃にびりびりする。
 女の子は糸櫛触角(つのつの)にからまっている。黄色の鱗粉が月の光を浴びて、鼻がてかてかしている。安稜(あろん)、
「だいじょうぶか、だいじょうぶじゃないか」
「だいじょうぶだわ」
「ならいい」
「いいわ」
「こいつ、おまえをねらってんだ、たぶん。おまえ、こいつ知ってるか。知らないか」
「知らん」
「だろうなあ」
 化物虫は丘をのぼって、原っぱをぐるぐる、ねずみ花火のように自転しながら公転する。
「森につっこまなくてよかった。手があればおれたちをにぎりつぶすだろうし、首が動けば振り落しただろうけど、こんなだだっ広い場所じゃ、どうしようもない。頭をぶつけて赤茄子(とまと)つぶしにするにも壁もなんにもない。
 にんじんぶらさげられて延々追いかけてる馬鹿な驢馬みたいに、ぜったいにこいつはおれたちをつかまえられないってことだな」
「だな」
「でも、どうするかな。あの布、持ってるか」
「持ってるわ」
「そりゃいい。でかした」
 片手で安稜(あろん)の手をにぎりつづけながら、まとわりつく糸櫛触角(つのつの)の小枝を一本一本はがして、女の子、化物虫の右目の上の眉毛のようなぎざぎざの模様をまたいで立つ。
 でかした、は、いいけれど、糸櫛触角(つのつの)の幹をつかんで、安稜(あろん)を吊っているから、手がふさがって例の布を広げられない。腹に巻いていた。
 腰にさした銀の匙(すぷーん)でぶったたけば、化物虫をやっつけることもできそうだったが、あんまりかわいそうだ。つかまえられてやるわけにはいかないが、永遠に届かないのに、走りつづける、おれなら泣いてる、と安稜(あろん)は思う。
「なんでおまえがほしいんだ。不思議だな。人間を食いたいなら、おまえじゃなくてもいのに」

 がもう

「うるせえ。きんきんする。大きな声出したってびびりゃしないよ。なんだっけ」
「不思議だわ」
「不思議だな。不思議、不思議、と。えーと、なんだ。おまえのにおいか、顔か、声か、なにがほかの人間とちがうんだろ。
 不思議、不思議、って、あれ、その布じゃないのか。おまえ、それ、捨てろ」
「す、て、ろー」
「いやか」
「やだもん」
「大事なものか」
「だいーじー」
「しょうがねえな」
「なあ」
「手がつかれないか。おれは、つかれてきた」
「つかれた」
「せえの、で、ひっぱれ。おれもその触角につかまるから。いくぞ、いっせえの、せ」
「むん」
 安稜(あろん)は両手でしっかりと糸櫛触角(つのつの)をにぎりしめ、腕の輪のなか、胸で女の子をささえる。おもむろに布をほどいて、そうして、女の子、目で合図する。もう、浮かんだ。安稜(あろん)、あわてて、
「いきなり飛ぶな、馬鹿。おまえの服、すべるし、よっと、だいじょうぶか、きつくないか」
「きつくない」
「置き去りにされるところだっただろ。せえの、も言えないのか。まあいいや。
 あ、化物虫、こっちを見てる。羽を広げて、閉じて、なにしてんだ。きっと、長い時間は飛べないんだ。あきらめて、かさかさ、うろうろしてる。
 月が出てる。きれいだな。夜風も気持ちいいし、こんなときじゃなきゃ、もっとのんびりふわふわできるのに。
 あれ、おれたちのいた都市(まち)だぞ。ぜんぜん、近いな。飛んでくればよかったじゃないか。
 物見高楼(みはりだい)から、おれたち、見えてるかな。
 寝てるか。夢を見てるかな。
 昼間のさわぎがうそみたいだ。
 あっちの山のほう、明るい。緑色、水色、群青、夜が明けるのか。
 おい、舵を切れ、あの、沼か、池か、川か分かんないけど、あそこを渡って、そう、そう、そう、そうだ。
 ちょっと首に手をまわすぞ、苦しかったら言えよ。
 ははは、いいぞ、くやしがってる。
  衣嚢(ぽけっと)に蜻蛉玉とかが入ってた。それを投げつけて、あいつにぶつけたんだ。こっちにひきつけて、足もと、気づかないように。
 やった。
 だいじょうぶ、水のなか、落ちた、下を見るな。そのまま、また取舵いっぱい、風がやむまで、がんばってあの山に近づこうぜ。
 気になるか。いいよ、じゃあ、おれが見てるから、おしえてやる。
 ざばざば、水を切って、とまった。ぶくぶく、泡が爆発して、なんだあれ」
「なんだ」
「分からん。なんか、細い、つるが出てきて、ああ、本当に草だ、植物だ。
 おい、気をつけろ、ぐらぐらする。前を向いてろ。
 まんなかに玉になった茎、右と左に、長い、いや、だけじゃない、大きな、巨大な革帯(べると)が右と左に、びろん、って開いてる。
 誕生日の豊明節会(ぱーてぃ)、それか聖誕節(くりすます)の朝、わくわくして、十本の指、わしゃわしゃもつれさせながら、贈答品(ぷれぜんと)の箱をあけたみたい。
 直径は、そうだな、八尺もあるのか、どでかい独楽型、逆円錐型、下は水につかってて見えない。
 先が裂けて、波うって、あんまり大きくて急にのびたから水分がいきわたらないのか、かわいて反ってのたくって、幅は六尺、長さは九尺くらい。
 化物虫がつばさを広げてるのに似てる。
 たぶん色は黄色と濃褐色のあいだ、栓皮(こるく)質におおわれて、ひび割れてる。発泡砂糖菓子(かるめら)が割れたような、櫛文土器(かわらけ)みたいな、複雑な模様だ。
 そうだ、土甕(ぴとす)だ。お皿みたいにひらたくくぼんで、中心点を走る赤道線からふたつに谷折りに折れて、そこに、あ、花が咲いてる。と思ったら、実をむすんだ。病気のひまわり、って感じ。
 紺色の小花、赤褐色のつぼみ、黒い種のつぶつぶが升目(どっと)絵みたいにつまってるのは気持ち悪いけど、びらびら紐飾(りぼん)はでも、白粉をまぶした明るい空色、光って銀色、まだのびてるのか。
 あ、夜明けだ。光ってるって、太陽の光だった。な」

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