kanahime5のコピー70

鹿魚姫(27)

〈琶桴ノ役〉が終結した。愚連隊と呼称されていたのは消防団〈率勿㮈〉であり、行政決定権を持つ有力者が殆ど〈皆殺シ〉になった為、彼らが和平交渉の席に着いた。構成員は豪商の子弟が中心で、それなりに話は通じた。あるいは〈琶桴ノ役〉の当事者で最も〈増シ〉な知能と思考を有していた。局長勾陳從は例侶要塞司馬将連藍俯、笶郊酒万封侯婆戻、屯騎尉底韋駄を前にして物怖じすることなく、「畜神の信仰は異端です。正統の所謂中央神道に帰順します。様々な利権が絡んでなかなか棄捨に踏み切れませんでしたが、皆死にました。習慣というものは恐ろしい。年寄りは完全に頭が硬直していますから。畜肉の加工業は文字通り〈聖域〉でした。秘儀による正式の祝福を経なければ四足獣を口にしてはならない。これについては個人的に恨み辛みがありますが(父と弟が自殺しました)、まあ、やめましょう。例えば、そのようなものです」例侶要塞司馬将連藍俯、「それで」局長勾陳從、「〈ソレデ〉とは」「降伏するわけだ」「はい」「どうやって」「これで終わりです」「巫山戯るな」「あなたは勘違いしている。戦争じゃないんだから。賠償なんて出しませんし、条件も提示しません」「それで済むと思っているのか」「〈ソレデ済〉ましてやろうとこちらが譲歩してやっている。無辜の民草も貪婪な年寄りも選ぶところなく薙ぎ払って行った自然災害の一種だと解釈します。この辺りで手を打たねば、そちらが困りますよ」「何故」「畏くも」口調が変わった。強いて感情を抑えつつも冷笑的薬味を効かせていた鼻声が威厳を帯びた。軍人たちは反射的に背筋を正した。三人分の手の平が綿襖衣を打ち、小気味よく鳴った。局長勾陳從もおもむろに立ち、〈真冬ノ水霜ニ濡レタ白刃ノ峰〉の如く反り身になって続けた。局長勾陳從、「帝の大御心をなんと心得る」彼は廬塢靈塢の創造神話から〈万世一系ノ聖統〉を説き、〈八族協和〉の理念を基調低音として響かせながら、月獺王洲刃止帝の〈諸共ニ睦ビ合ウ世〉、啄熊王布琉矩帝の〈正シキ道ヲ踏ナ違エソ〉、また歴代の賢帝の御言葉、御製を引用し、〈琶桴ノ役〉における禁軍の狼藉を詰った。煙に巻こうという意思はなさそうだった。ただ、言いたいことを言っている。彼自身も奔流する言葉を制御できていない。侶要塞司馬将連藍俯、笶郊酒万封侯婆戻、屯騎尉底韋駄は気圧されていた。局長勾陳從、「しかるに貴様ら」と大喝一声したところで、不意に演説が途切れた。笶郊酒万封侯婆戻が恐る恐る肩で息をする局長勾陳從に、「それで、結局君はなにが言いたいのか」局長勾陳從、「これで通じないなら、もう知らない。私は責任を果たした」彼の目には〈狭霧越シニ観測スル日食〉の濁りがあった。彼は窓を開け放ち、露台で懐紙に包んだ扁平な菓子のようなものを齧った。彼の頭は爆発した。癇癪玉が破裂した程度の音で、青緑の炎が一瞬浮かんだだけだった。局長勾陳從は初めから自棄糞、捨鉢の態度であり、その奇妙な威圧力も風格や気迫に起因するものではなく、妖怪を前にした嘘寒さだった。彼の〈個人的〉な経歴が、彼を御偉方に敵対する若者陣営の急先鋒に仕立て、青年消防団局長に相応しい不遇状態に置き、降伏の使者にまで祭り上げた。彼は不本意だった。人々の上や前に立つのは馬鹿馬鹿しい。自分の誂えたような〈経歴〉を呪うしかなかった。彼に降り掛かった不幸の連続は、復讐に生涯を捧げるべきだと勝手に道を指し示していた。彼はある時点で家族の悲惨な最期を取り敢えず棚に上げておくことに成功していた。だが、周囲の者は有形無形に〈ソンナ筈ハナイ〉と認めなかった。いつしか彼は少壮弁士の肩書きを押し着せられていた。適度な常識と寛容さを彼は持っていた。しかし諧謔を解しなかったので、思い詰めた。完全に禁軍は〈ビビッタ〉(経綸報彙〈清晨〉社説)。廬塢靈塢西部茅理漏郡速儺は無条件で再び帝廟の威光に浴することを許された。局長勾陳從の命を賭した和平交渉が衆目を集め、各報彙ともこの風潮に便乗して〈挺身殉国ノ士〉と彼を激賞した。
 私は帖面から顔を上げた。空白を埋める為の私の姑息な尺稼ぎにもようやく終わりが見えてきた。君咩主を囲む〈八百万ノ神ダチ〉は延々鹿魚の相手を作る者に誰が相応しいかで揉めていた。いま、それが決定した。呂千廻なる不明の神が唾液を落とす。君咩主の感応を受け取り、〈十三歳〉の鹿魚の〈相手〉となったのは私の弖飛だ。呂千廻の唾液は、担うべき役割が欠如したままに〈天下〉った。彼は(一応それを人と見做すならば)、〈無〉が形を持ったような奇怪な存在として生を享けた。それ自体が既に矛盾だった。消化殺菌への志向という唾液本来の性質だけが彼の精神機能を規定した。野生動物の本能よりも更に低級な、化学変化のみを運動の契機とする物質と生物の境目にあるなにか。彼を名付けるべきだった。〈八百万ノ神ダチ〉は慌てふためき、〈ドウシヨウ〉と互いに横目で伺い合うことしかしない。私は〈コガネ〉と呼ぶことにした。色、形を捉えるのは不可能だった。ただ、日の光に輝いた気がした。〈無〉に対して、私はその刹那の現象を拾い上げるしかなかった。

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