銀匙騎士(すぷーんないと) (20)

 夜の闇がずいぶん落ち着いた。もっとおとなしくさせて、しっとりとなまぬるい空気になじませ、やわらかく、やさしく、そっと寝かしつけようと安稜(あろん)は歌ったのだ。
 でも、あとづけの理屈だ。
 つい、口をついて漏れて、広がった。その漏れてきた源泉は、いつ、どこの、誰との、なんの記憶だろう。無数の流行歌が耳を通過していったけれど、これが脳みそのひだひだに根をおろし、ひっそりと花を咲かせて、少しもゆれることはなく、いまのいままで何色の、何枚の花びらの花かも知らなかった。
 それは、安稜(あろん)のなかで、安稜の土で育ったので、抑揚頓挫、調性、小節、その種を綿毛にくっつけて安稜の耳穴にすべりこませた、もとの花とは微妙にどこかちがうはず。
 安稜(あろん)は、ようやく手足のこりが、蝶々むすびの羽根のちょろりとしたのをただしくつまんで、ほどけたように、関節までとろとろにゆるんだ。銅線を織りこんだじょうぶなひもで、聞いたこともないような結び目の固むすび、

 生の深淵をのぞき見る人、
 心の奥津城にたどりつく人、
 地のあらゆる国々をしろしめし、
 海の果てまでその額の光のあまねく照らす人。
 秘められしことをあばき、隠されしものを開く。
 はるかな道を歩み、労苦を重ね
 ついに安らぎを得ぬ

 ところの王者になると予言されていたような固むすび、乳色の玉じゃりと真緑の山気でとぎすまされた秋の水のような倚天刀(だんびら)で、すっぱり両断でもしなければ、永遠に金しばりに苦しむのか、とも疲労困憊のうっすら霧がかかった胸の奥で心配していたのだ。
「ちかれた」
 女の子は軽かったけれど、たぶん、本当は重かった。安稜(あろん)は、知らず知らず、つかれ果てていた。

 風 吹く 丘で 咲いていた
 こんなに やさしい 春の日に
 あなたは 咲いていたけれど
 少しも ゆれる ことはなく

 夜 降る 海に 立っていた
 あんなに つめたい 波を踏み
 あなたは 立っていたけれど
 ぜんぜん 星に 興味なく

 夜を、林を、木々の一本一本を寝かしつけるからには、子守唄だったかもしれない。
「ちかれた」
 と女の子が言った。安稜(あろん)、
「歌はまねしないのかよ」
 ちょっとだけ、女の子の歌声を聞いてみたかった。女の子、
「しないわ」
「あの山」
「山」
「まだかかるのか」
「かかる」
「どれくらい。三十日、二十日、十日」
「十日」
「五日」
「五日」
「三日」
「三日」
「一日」
「にち」
「三日くらいか。たいしたことない。そろりそろりとまいろう、って感じだな」
「そろり、そろり」
「山に住んでんのか。ふもとか、おなかのあたりか、てっぺんか」
「てっぺん」
「あの山、ええと、名前は忘れた。聞いて、日記に書いてたっけ。まあいいや。おはなしがあるんだろ。
 この大閻浮提宇宙(せかい)の、はじまりはじまり、のおはなし。
大きな大きな水たまり、縁のない鏡みたいな水たまり、どこまで船でどんぶらこ行っても端っこから落っこちないお盆をひたした水たまり。そこに、くらげみたいな一本足のところてん、鐘木鮫(はんまーへっどしゃーく)のような頭でっかちの阿膠(ぜらちん)だ。それが、水たまりをただよってる。
 神々のよだれ。
 ぜんぜんからまったり、くっついたり、ごちゃごちゃしたりしないから、なんにもならない。
 だから、兄と妹の双子の神が降りてきた。
 日輪に座を外させ、月輪に目隠しをして、いい塩梅の闇夜をつくったら、その」
「その」
「分かるだろ」
「むう」
「いい。読む。ここに、たしか、ほら、これ、いい叙事詩だから。

 かのとき、
 有なく、無なかりき。
 死なく、生なかりき。
 日なく、夜なかりき。
 天なく、地なかりき。  
 天と地の双子、生まれしとき、
 天の道と地の礎、
 君咩主神の定めしとき、
 君咩主神(くめえす)、淤偲姫命(おーしーす)、箇太外尊(かだあと)、足禹能尊(あーうのお)、
 八百万の神々は、
 天に座を占めて、天に座を占め給い、
 君咩主神(くめえす)、宣い給いて、曰く、
 天地の道礎の定められ、
 爾らはなにをなし、なにをなし給うや。 
 爾らはなにをつくり、なにをつくり給うや。
 八百万の神々よ、
 爾らのいます天の庭。この円居にして、
 と。
 八百万の神々、
 君咩主神(くめえす)にこたえて、こたえ給いて申せられるよう、
 乾坤の緒なる賀漏得(かろーえ)にして、
 われら、二柱の悪神、飛冉彦(ぴぜん)、宅虚姫(あうろ)斬り裂き、
 彼らの血をもって人を作る。
 われらの担えるくさぐさの仕業はいまや、
 彼ら人の責めを負うわれら雲居より宣して曰く、
 われら八百万の神々の荘園を肥やし、
 淤偲姫命(おーしーす)、箇太外尊(かだあと)、足禹能尊(あーうのお)の祭壇に供犠を絶やすなかれ、
 地のはじめの男と女よ。それよ。
 淤偲姫命(おーしーす)、箇太外尊(かだあと)、足禹能尊(あーうのお)の名づけられし男と女よ。それよ。
 馬、騾馬、驢馬、駱駝、牛、乳牛、羊、山羊、
 地において爾ら按配せよ。差配せよ。
 けがれなき神託をば畏み畏み承りて服従せよ。屈従せよ、
 と、
 君咩主神(くめえす)の百劫の計を顕して、百劫の計を顕し給え。
 千劫の日の巡幸よ。その巡幸の如く供犠を絶やすなかれ。
 われらと人に栄えあれと
 君咩主神(くめえす)の百劫の計を顕し給え、
 と。
 君咩主神(くめえす)、淤偲姫命(おーしーす)、箇太外尊(かだあと)、足禹能尊(あーうのお)、
 八百万の神々は、
 緇里敍(しりぞ)を地の人に、人の地に遣わして、人の地に遣わし給う。
 銀芒の飄々靡き、陽炎の幽々燃る浮島よ。それへ。
 はい、おしまい」

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川光 俊哉 Toshiya Kawamitsu

第24回太宰治賞で小説『夏の魔法と少年』が最終候補作に選ばれる。2013年以降、舞台『銀河英雄伝説』シリーズ他、商業演劇で脚本を手がける。二松學舍大学文学部国文学科 非常勤講師。ポストメタルバンドlantanaquamaraでボーカルを担当。Twitter @TKawamitsu

小説「銀匙騎士(すぷーんないと)」/小説「百年の日」

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