2000年代のYELLOW MAGIC ORCHESTRA①

イエロー・マジック・オーケストラ YELLOW MAGIC ORCHESTRA(YMO)の高橋幸宏さんが1月、坂本龍一さんが3月、2023年に入って、相次いで亡くなられました。
1980年代から彼らの音楽を聴き続けてきた、いちファンとしては残念でなりません。

1978年に結成され、「TECHNOPOP」と呼ばれる新たな音楽ジャンルを切り開いたグループの一つとして一大ブームを巻き起こしたのは説明するまでもないかと思います。

1983年に解散(散開)、1993年に一時的な再結成(再生)はしましたが、その後、しばらく沈黙、2000年代に入る直前の1999年9月、メンバーでリーダーの細野晴臣さん監修によるオリジナル・アルバム再発売とベスト・アルバム発売あたりから、YMO復活の兆しがすでにあったように思います。ベスト・アルバムのタイトルは『YMO GO HOME!』、細野さんの「YMOは家に帰したい、YMOとはお別れしたい」という思いでこのタイトルを付けたとのことですが、むしろ逆に2000年代に入ってメンバー3人がまた一緒に活動し始めるきっかけとなった作品とも言えるかと思います。

1999年以降の主な動きとして、細野さんのNHK特番「イエローマジックショー」に幸宏さんと坂本さんが出演し「RYDEEN」を演奏、坂本さんのプロジェクト「地雷ゼロ」に幸宏さんと細野さんが参加、幸宏さんと細野さんのユニット<SKETCH SHOW>に坂本さんもゲスト参加、それが<HUMAN AUDIO SPONGE(HAS)>に発展していきます。2004年には海外(スペイン)公演も行われ、2007年には新録音の「RYDEEN」と共に某ビールのCMでついに<YELLOW MAGIC ORCHESTRA>として出演、HASとYMOを繋げ<HASYMO>として新曲「RESCUE」を発表、2008年にはロンドンとスペインで公演、そして2009年以降<YELLOW MAGIC ORCHESTRA>としての活動となっていきます。

幸宏さん、坂本さんが亡くなられた時、テレビ報道ではやはり1980年代の活動を中心に報じられていましたし、ファンにとってもその年代のYMOに思い入れがある方が多いとは思います。自分にとっては、2000年代の彼らの活動にとても思い入れがあります。

2000年代のYMOについて、少しづつ語っていければと思います。

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