見出し画像

友達に癒される

あろうことか寝過ごしてしまい、メッセンジャーのボイスコールで起こされる。

一時間遅刻して、友人との待ち合わせ場所である津田沼に到着する。駅の周りの風景は、30年前とまるで変わっていなくてびっくりする。国立だって、府中だって、もちろん実家のある成田だって10年もあれば様変わりしているというのに、なぜか津田沼の駅周辺だけは卒業アルバムの写真のように保存されていた。そして、やはりというか25年くらいぶりに再会した友人の雰囲気も全然変わっていなかった。もちろん、これだけの時間が経っていれば、何もかもが同じというわけではない。しかし、少なくとも、お互いに迷うことなくお互いを同定することができた。そのくらいには、外観は保存されていたということだろう。変わらないものも、あるんだ。

一週間前にFacebookのメッセンジャーを通じてメッセージが来た時から、僕はその友人に会うのを本当にとても楽しみにしていた。彼女は高校時代、クラスメートで、かつ、演劇部の仲間だった。彼女が部長で、僕が脚本を書いて、皆で演劇コンクールに参加したりもしていた。僕にはその当時、表現したいものがたくさんあったんだと思う。高校時代は映画も撮っていたし、ダンスなんかもしていた。もちろん、高校生のやることだから粗削りだし、完成度も知れている。おまけに、コンクールの準備をしている最中から彼女とは折り合いが悪くなってしまい、コンクールが終わってからはちょっとした絶交状態になったりしたような記憶がある。しかも高校を卒業してからは僕は多摩の方の大学に行ってしまったし、彼女は浪人して千葉に残っていたので、我々は疎遠になった。大学時代に一度か二度、会ったことがあったように記憶しているのだが(確か彼女は大学まで演劇を続けており、それを池袋まで見に行ったというのが記憶である)、それ以来全く連絡を取っていなかった。

部長はステキな女子高生で、すごくモテていた。もっともその頃の僕は別のクラスメートに夢中で彼女をそういう対象としてみたことはなかった。そして、彼女がモテていることそのものが、僕が彼女と一緒に何かをしようとするときに、微かな居心地の悪さを僕に感じさせていたというのもあったように記憶している。こういう感覚を上手に、正確に表現するのはなかなか難しいのであるが、例えば今であれば、誰もが認める若くて美しい女性と仕事が一緒にできるというのは何となく鼻が高い気分になったりするだろう。しかし当時僕は17歳で、若くて、卑屈で、エネルギーを持て余していて、それを素直に表現することはできなかった。だから、彼女がクラスの男の子たちをそのコケティッシュな魅力で惹きつけているのを見て、少しだけイライラしていたんだと思う。

四半世紀ぶりに話した彼女も、相変わらずそういう魅力を宿していた。「変わらないもの」が人を惹きつける性質であるというのはステキなことだなあと思う。しかしとにかく、昔と変わらない彼女と話していると、自分の方でも当時と比べると自分の中のもののうち、何が変わってしまって、何が変わっていないのかが鮮明に見えてくるような錯覚が起こってきた。ヤードとメートルとのものさしを重ね合わせているような感じと言えばいいだろうか。例えば僕は17歳じゃなくなっていて、当時と比べるともう少し素直に思っていることを表現できるようになっている。ボキャブラリーが増えたんですね。でも、世界と自分との有様と理想とについて年がら年中考えているという、いわば哲学的な側面は少しも変わっていないんだなと思ったりした。そういう、自分の昔のことを知っている人、そしてそれを肯定的に語ってくれる人というのは本当にありがたいなあとしみじみ思った。僕は普段はいつも口癖のように「僕って友達がいないんですよね」って言っているけれども、こういうのは友達って言ってもいい関係性ですよね。

それで、今日一番癒されたやり取りはこういうものだった。

「部長、今でもすごくモテるでしょ」

「うん、すごくモテる」

会心のダイアログに思わず右の口角が上がってしまう。

この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?