続 誕生日について思うこと

昨日の記事をアップした後、改めて誕生日について考えてみた。
そして一つの仮説が思い浮かんだのだが、誕生日を祝うことは、自分のためではなく、他人のためではないか、ということ。

そもそも祝う/祝われるという行為は一人ではしないものである。昨日の視点は「祝われる」側のみだったが、「祝う」側から捉えると、むしろ「祝う側」に積極的な理由があるのでは、という気がしてきた。それは、
・誕生日を口実に、祝う人・祝われる人との間での関係を良くしたい
・誕生日を祝うことで、祝う人が幸福感を感じたい(もはや祝う人の個人的な理由だが・・・)
・(SNSの場合も含めて)誕生日を祝うことを第3者にも示すことで、気遣いが出来る人なんですよアピールをしたい
 (意識的に、あるいは結果的にそうなっている)
などということである。

そう考えた場合、「祝う人との相対的な関係値の維持」と「誕生日というものの意味のなさを主張したい気持ち」を天秤にかけ、誕生日を祝うことを受け入れるというのが大人の対応なのではないか、という気になった。誕生日ごときで人間関係にヒビを入れるなど、それこそ本末転倒。

大人って難しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?