誕生日について思うこと

最近、誕生日を迎えた。それもあり、改めて誕生日について考えてみた。
誕生日を迎えることは、嬉しいことなのだろうか。例えば家庭や職場で、あるいはSNS上で「誕生日おめでとう」と言われることもあるのだが、正直に言って嬉しいという感覚が分からない。
推測するに、「生まれてから〇年生きることができて良かったね」というのが嬉しさの背景にあるような気がする。しかしながら、
・そもそも「○年生きたこと」が嬉しいのか
・なぜそれが誕生日である必要があるのか
が分からない。
ただ長生きすることがいいことなのか。生きる意味はそこにはないのではないか。むしろ、昨日よりも今日の方が何かが良くなっている、ということにあるのではないか? これは人生観とか、人生で何がしたいのか、に関わってくる話であるけど。
また、仮に長生きが善だとしても、後者については誕生日である必然性がない。なぜ例えば1月1日ではないのか、桜が咲いたタイミングではないのか、あるいはなぜそもそも年1回なのか。毎日でもいいのではないか。
ということを考えると、誕生日を祝うとか喜ぶという感覚がどうにも理解できないのである。

ひねくれているのは理解しているが、いわゆる常識というものを疑い、オブジェクションを唱えることが自分らしさだったり、他者との違いを生み出すことにつながるのではないか、と思う。

#コラム


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