見出し画像

旅に求めること、そして人生

何かの本で勧められていたことから、寺田寅彦の「読書と人生」という本をパラパラと読んだ。その中に「案内者」という随筆があり、案内者が一緒だと、「ある器物か絵かに特別の興味を感じて」もっとゆっくり見たいと思っても出来ないことが、困ったこととして挙げられていた。

自分はこれまで留学を含めて海外には何度か行ったことがあるものの、最初から最後までガイドが付いている旅行をしたことがなく、またしたいと思ったこともないのはこれが理由だな、と思った。

そもそもの話だが、旅は何のためにするのだろうか? 人によって目的は異なるだろうが、自分の場合は訪れた場所で見たいものを見たり、したいことをすることで、新たな発見をすることが目的だと思っている。その大前提として「自由」がある。

例えば大英博物館のような著名な博物館に行く場合、一般的に見るべき、とされるものは決まっている。例えばロゼッタストーンであるが、ガイドツアーであれば一般的に「見るべき」ところのみを効率良く、つまみ食いするように見て終わり、ということになるだろう。そこには寺田寅彦が言う、ゆっくり見たいと思ってもそれを行動に移す自由は存在しない。そのような旅行には発見の要素はほとんどなく、知っていることの検証や確認のための行為になってしまうのではないか。

もちろんガイドツアーは、限られた時間の中で、最大限見るべきものを得るという観点では、必ずしも全否定されることではない。しかしながら、旅行に求めるものは果たしてそれが最優先なのだろうか? 自分の場合は、その場で見たい、したいと思ったことをする、というのが大切であり、それはガイドツアーにより得られる効率を上回る、ということである。

ガイドツアーによる効率性には及ばないとして、ではどうするか? そのアプローチの一つが事前の調査によるプランニング(別稿に記載)であるが、もう一つはそもそも回る都市を絞る、ということである。都市の規模にもよるが、それなりの大都市であれば1~2日ではなく、出来れば1週間程度は滞在する。

仮に海外から初めて日本旅行をするケースについて考えてみる。滞在期間が1週間程度しかないが何都市か回ることにし、東京には1〜2日滞在するとした場合、東京を「見た」とはとても言えないのではないか、ということである。敢えて京都や大阪などは捨て、東京のみに滞在する。そこで見たいものを見たり、やりたいことをやることで、「つまみ食い」スタイルの旅行よりも自由で、結果的に深い経験が出来るのではないか? 例えば学生街をブラブラして学生御用達の店でランチしたり、センベロを体験したり、オフィス街のカフェで街ゆく人を眺めたりすること。それらは1~2日の滞在を前提とした場合にはまず選ばれない選択肢だろうが、きっと東京という街を感じ、理解するためには確実に役に立ち、場合によっては一般的な観光名所(東京タワーとか?)よりも有益と言えるかもしれない。

突き詰めて考えると、それは人生自体に向き合う時のスタンスと通じるものがあるのかもしれない。効率を求めるのか、安全を求めるのか、発見や冒険を求めるのか。旅のスタイルを知ることで人生の捉え方が分かるのだとすると面白い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?