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[全文無料メタx2フィクション] 春の夜の夢(あるいは三兄弟滅尽)

アナタは夢を見ている。夢の中ではふた月に一度、指令が届く。死霊が届いたら困るに決まっているのだから、命令されるのが大の苦手なアナタとしても、こればかりは指令であることをむしろ喜んだほうがいい。
ありがたいことではないか。風の大地に設けられた猫尻尾旅荘(キャットテイル・ロッジ)で、動き続ける地球の強烈な息吹を感じながら指令にしたがって行動する喜び。
夢の中でアナタは作家である。けれどもアナタは文章を書くのは嫌いなのだ。書くのが嫌いな作家に生まれた不幸をアナタは嘆いている。嘆いても仕方のないことは分かっているのだし、たぶん嘆くことが好きなのかもしれない。ああ、今ここで思う存分に嘆くことの、何という快感。
そこでアナタは指令に従うべく重い腰を軽々と上げて、少々の作文を試みることにする。夢のなか作業することの困難に気づきもせずに。

  *  *  *

全てのものはいつか消えてなくなる。これが仏教の根本の教えの一つである。

そう書いてアナタは祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きありという有名な一節を思い起こす。
日本の古典文学の冒頭にこうして名を挙げられる祇園精舎が日本にあるものではなく、遠い天竺の地名であることを知ったときには、何か裏切られたような気がしたものだ。
無論これは、変わらぬものは何もないという仏陀の教えを引いて平家滅亡への道筋を説くための表現の一部なのだから、仏陀が長く滞在して教えを説いたという天竺国の祇園精舎の名をここで出すことは全く筋が通った話だ。
とはいえ、敗戦ののち何十年も経ってから生まれたアナタが、日本の伝統文化の一部である仏教について大した知識もないまま大人になり、奇妙な縁で瞑想をかじるようになってからどこかで目にした仏教の解説に、祇園精舎は「ジェータ(祇陀)王子の森に建てられたアナータピンディカの園林精舎」に漢字を当てて縮めたものであると読んだとき、てっきり日本だと思って読んでいた一節がインドの話であるというのだから、京都辺りの湿っぽい古寺でごおーーんおーんぉーんぉんと鳴り響いている絵を想像することを放棄し、あの乾いたインド亜大陸の、寺ってどんなんだ? でもって鐘の音っていうけど、インドの鐘? そんなんあるのかよ!? と頭が混乱したのも意外なことではない。なおウォキピデアの祇園精舎の項には日本の寺の鐘は中国由来のものであり、インドには元々日本のような鐘はないと書かれている。

  *  *  *

さて、すべてのものはいつか消えてなくなるという無常の原理については、だから何なの? という突っ込みはあるかもしれないが、その主張自体にわざわざ異議を申し立てるほどの人も少ないだろう(なお、ここでは物理学的な詳細な議論には立ち入らない。あくまでも日常世界での話を前提とする)。
そのとき問題は、消えてなくなるのは自動的に起こることなのか、という一点に集中する。
この世で起きるすべての現象は自動的な性質を持つものなのだろうか。そうだとすれば、そこには自由意志の介在する余地はないのか。

そこまで書いてアナタは夢想を天空に飛ばす。夜空に散らばる無数の星々は、空間的には重力の法則に従って久遠の時をかけて移動しながら、内部的には核物理の法則に従って熱と光と核反応生成物質を放ち続ける。日夜展開されるその壮大な物語には生物学的な意味での意志が働く余地はなく、全く自動的な反応といって差し支えない。
次にアナタの夢想は人間という滑稽な存在に向けられる。人間には意志がある。しかし意志というものを脳というハードウェアの上で実行されるソフトウェアとして考えるならば、意志の働きが自動的なものであると考えても何ら問題はないのだ。
もちろん多くの人は自分に自由意志のあることを特に考えるまでもなく当然のことと見なすことだろう。しかし真実は多数決によって決まるものではない。人生において真実の果たす役割など知れたものではあるが、痴者(しれもの)は得てして真実の価値を過大評価しがちなことには注意が必要である。
そこで真実に酔い痴れる見者(けんじゃ)は物事の真実性を括弧に入れてくくり、「全自動の意志」という仮説を立てる。何しろ自由意志などという代物は、有っても無くてもどうでもいいようなものだし、どちらでも好きなように考えればいいのだ。そのとき重要なのは、少なくとも人は、自分の好きなように選択し決定できるという実感を持っているという多数派の共有する認識と、自分がどのように選択し決定するかは、実際に選択し決定するまでは自分にすら不確定なことであり、誰にも完全な予測はできないという厳然たる事実である。
「全自動の意志としてのワタシが全自動の意志としてのアナタに語りかける」
この仮説にしたがって、あなたにはこの文章を読んでいただきたい。

  *  *  *

お話しくださいと言われてもな。

アナタ・ジロウは文章をひねり出すのに少々くたびれていた。

前回帰国した折りに手に入れた安物の青歯鍵盤を使っていれば、入力自体は相当に快適である。といってもその無線鍵盤には一つおかしなところがあって、JISカナの入力ができる日本語鍵盤なのに「長音記号(ー)」用の鍵(けん)がないのだ。アルファベットや半角記号を入力するだけなら「円記号(¥)」がなくてもそれほど不自由はないが、ローマ字変換を使わずカナ入力をするときに長音記号がなくては困るではないか。しかしないものは致し方がないので、長音記号が必要なときは電脳石板の仮想鍵盤に手を伸ばして入力する。幸いなことに片仮名語の使用を控えれば長音記号はほぼ使わないで済むので、東京蒲田の三硬貨店にて¥1,500円(外税)で買ったこの白い青歯鍵盤のおかげで、ジロウの執筆環境は大いに整ったのである。

とはいえ、人間というのは贅沢なもので。
「ろ」と「む」の鍵の位置が変則的なのを除けば指が勝手に鍵を探して自在に入力ができるのだから、何の不平もあるはずがないのに、寝台の横に立てて置いたソフトスーツケースに載せた石板に向かい合って寝台に腰をかけ、背筋を伸ばし姿勢を保って十本の指で文字の羅列によって旋律を奏でるのも、長く続けていればしんどくなる。
もっと楽をしたいと思い、音声入力をまた使ってみるかと気まぐれを起こした。
何年かぶりに轟護留Ⓡの音声入力を使ってみると、だいぶ聞き取りの精度が上がっている。なるほど世間でエーアイええわいと騒いでいるだけのことはあるじゃないか、30年前には「機械学習? それ何の役に立つの?」くらいの出来だったのが、いつの間にかちゃんと実用の域に達しているのだから、まったく感心するしかありませんよ。
だけどさ、この轟護留くんときたら立ち上がりはとろい癖に、そのあとがやたらにせっかちでよ。
まずマイクの形のアイコンを押すでしょ。すると「初期化しています...」ときて入力可能になるまで 2 - 3 秒かかる。で、次に「お話しください」となるのはいいんだけど、何を言おうかとちょっと考えてるとじきに音声入力モードを勝手に終了して文字入力の状態に戻っちゃうんだわ。何だよ、またマイク・アイコンを押すところからやり直しってか。かーーっ、くたびれるじゃーん。
おまけに、いらないところで半角空白が入ったり、漢字の変換結果も趣味じゃない場合があるし、ちょっと変な言い回しだと聞き取り・変換がおかしかったりする場合もあるからよー、あとで直さなきゃならんでしょ。

だったら最初っから鍵盤で打ってたほうがいいだべさ。

しがし、だ。マイク・アイコンを押したり引いたりする羽目になるのは、音声認識機能をなめらかに実行するだけの回線速度が確保されてないからって可能性もありそうだし、そもそも轟護留印(ごーごるじるし)の音声入力よりもっといいソフトだってありそうなもんだが、そうはいっても乞食(こつじき)作家の俺様としては無料のソフトじゃなきゃ話にならんし、まあとにかく何もかもがめんどくさいわけだから、もういい、音声入力は却下、壱阡伍佰圓(外税)の青歯鍵盤最高!

ということで、腰かけてしゃんと背筋を伸ばしていた姿勢も捨て去って、仰向きにのほほんと寝台に寝そべるだろ、両膝は立ててな、んで右腹の脇に書見台代わりに適当なものを置いてさ、いい塩梅に角度をつけて設置した石板を横目に見ながら、腹の上に載っけた鍵盤をぱたぱた叩くと、ああ、さすがにこれはちょっと不安定だけど、いや、腹の上に平らに置くんじゃなくて、立てた腿に立て掛けてやるとちゃんと安定するし、意外にもこれが楽ちんに入力できるんですよ。
そういや学生のときバイトしてたちっさいソフトハウスで、先輩が床に根っころがってデスクの上のモニタを下から見上げるように眺めながら、腹の上のキーボード叩いてたっけな。そんときは「そんな格好でプログラム組むやつあるかよ」とか思ってたけど、それから40年も経って自分がそんなカッコで文章書くことになろうとは、いやはや人生というものは本当に分からないものじゃありませんか。

とまあ、そういう事情で機械の野郎に何度もお話し下さいと慇齦にも指示を受けてようやく書いた文章の切れはしを少し手直ししたものが次の一節である。

  *  *  *

だからね、お話しくださいとせっつかれても、そうそう言葉が湧いてくるというわけにもいかないんだよ。
だいたい俺は何かを表現したいとかいうような、そういう強い欲求を持ってる人間じゃないんだ。
生まれ落ちた時から自分の欲求というものを抑圧し、削ぎ落とし、捨て去ることを学び、自分が何をしたいかなんてとっくにわからなくなった状態でようやく生き延びてきたんだからさ。そこまで言ったら、ちょっと言い過ぎかもしれんがよ。
しかし音声入力と言ってもな。まあとにかく何も言いたいことなんかないんだから。だって生きてるだけでいいんだ。つまり、大事なのは何をするかということじゃなくて、どういう気持ちでするかってことなんだよ。 えーとそれでね、つまりさ、なんだかんだ言ってどうのこうのと言葉をつないでるけど、別に意味なんてないのよ。 それをいつまで続けたところでさ……。なのにそれがいつまでも続いて行くんだよね。そいつが人生ってやつなんだよ。困ったもんだ。別に困る必要もないんだけど。てな具合に何かを言ってはそれを否定する。その繰り返しが俺の人生ってわけでさ。

で、この間の日本行きの話よ。 完璧主義者のうちの奥さんと一緒だと、ハリドワルからデリーに行くだけでも大変なんだけど、その先デリーからバンコクに飛び、バンコクから更に福岡に飛んで、ようやく日本だ。博多に一泊して一息ついたら、翌日には高速バスで広島に行ってね。広島では奥さんのじいちゃんの墓参りをするのが大事な用事で、それを済ましたその夜は古い友だちに会ったんだ。この友だちってのがイカレたやつでな。

  *  *  *

ジロウがその夜会った古い友人ムツモト・ムコトは、むろんアナタ・ジロウが空想した架空の人物である。
妻とともに妻の母方の祖父の墓参りをするという重大案件を無事済ませたあとで、ジロウはその日の宿のある山陽本線・海田市駅近くの大型小売り店で買い物をしてから妻と別れ、ほっとした気持ちで一人海田市駅へと向かった。海田市の駅はこの日初めて使ったが、ひなびた地方都市の駅らしく、広島駅から三駅八分で着く便利な土地柄であるから住宅こそ建て混んではいるものの、ほとんど商業施設もないがらんとした印象の、これといった特徴のない駅前が広がっている。
妙に現実に似た描写が続くが、すべてジロウの空想する物語である。
なぜジロウはこんな空想をしているのか。もちろんそれは直接的には指令が届いたからなのだが、そもそも自身が架空の存在であるジロウが、自分に与えられた架空の経験に基づいてことさら空想の物語を作るのはなぜなのかと言えば、つまりジロウが自分の人生を持て余しているからなのだ。自分では責任の取りようのない人生を生きているジロウは、それをそのまま文章にしてしまってはただでさえこじれている人生をさらにこじらせてしまう恐れがあることを過剰なまでに意識している。そこで、自分の人生に瓜二つな日常生活を描きながらも、そこに空想の香辛料を無闇に振り入れることによって、物語に付与される意味を巧妙に歪める必要があった。そうして虚実の境目に煙幕を張りめぐらし、退屈で無粋で、時折り訪れる精神の高揚だけでは到底乗り越えがたいこの人生そのものの無意味さを、異化して生かされるに値する何ものかに変容させようと、それが結局は徒労に終わるにしても、とにかく今この瞬間に何らかの意味を見出だす努力をわずかながらもすることに一縷の望みをかけて、いるような、いないような、甚だ曖昧なジロウの実存的気分を読者の皆さんとここに共有したいと思い、以上長々と説明させていただいた。

  *  *  *

それでね、そのムコトくんというのは、実在の人物じゃなくて、あくまでもぼくの空想上の人物だということで聞いてほしいんですよ、くどいとは思いますけどね。でまあ、彼はとにかくかなりの変わりもんなんです。でぼくはその日は海田市の駅から広島駅まで列車で行って、南口から十分ほど歩いたところに彼が持っている集合住宅の一室を訪れたわけなんです。
久しぶりに会って話したんで楽しかったですよ。何しろ切れ者でね。今も地方の国立大で教授をしてるし、極東の先進工業国の最高学府で教授になれるだけの能力もあるってーのに、そんな地位はぽいっと捨てちゃうようなやつでして、おまけに現世のばかばかしいあれこれに容赦のない発言をぱかぱかしちゃうような人物なんで、すごい才能の持ち主なのにやたら苦労の多い人生を歩いているように、どうしても傍からは見えちゃんってもんでしてね。でも今回話してみると、困難は抱えつつも本人はそれなりに気持ちよく生きてるようでもあって、その辺どうとらえたらいいかは一筋縄ではいきませんし、強がり混じりかもしれないけど本人がそれでいいって言うんだから、それでいいっていうことにしときましょう。
でも今はムコトくんの話ばかりしてるわけにもいかないんで、精神病院に何度もぶち込まれて、大学の職も失いかねない状況だってことを考えれば、とてつもなく元気にやってたってことだけはお伝えしておいて、他の話はまた別の機会にしますわ。

  *  *  *

そのようにしてジロウと妻の旅は続いた。

ちょうど広島・ゼレンスキー応援・ロシアいてこましたれG7サミットの開催と重なってしまったため、広島市内で借りたレンタカーを広島空港で乗り捨てするのに交通規制は大丈夫なのかという妻の心配を、もっともだとは思いつつも、そんなことわしの知ったことか、いざとなりゃどうにでもなるわいと、どこの地方の言葉ともつかぬ怪しい言い回しで頭のなか妻に口答えしながらも、ジロウは空港にほど近いガソリンスタンドで、スタンドのおっちゃんに規制は大丈夫ですかねと確かめて、おっちゃんが丁度そこに居合わせた機動隊の人がたに確認してくれたので、いやお巡りさんかて、かなりいい加減なこと言うとるようやけどな、などと思いつつも妻には、大丈夫って言ってるね、と肯定的な意見を述べて、とにかく空港近くのレンタカーの営業所へ向かい、道はがらがらに空き、お巡りさんは見かけたものの規制はなきに等しく、何の問題もなく余裕の時間に広島空港に着いたのだった。

  *  *  *

そうして広島から格安便で成田に飛び、成田から鉄道で二時間ほどもかけてよっこらしょと世田谷の実家に顔を出したジロウは、その間、世田谷区の役所で妻の用件のための必要書類を入手するという今回の帰国の東京での主用を終えて、いつもながらのばたばたごたごたの珍道中ながらも、まずまず順調に話は進んでいるわいと安堵していた。

その夜のことである。

世田谷の家は、30年ほど前に父と弟との名義で借金をして建て直した計量鉄骨の今風の二世帯住宅だが、その父も二年前に亡くなって一階は母が一人で暮らしているので、だいぶ寂しい印象を受ける。
そこへジロウと妻が久しぶりに訪れたものだから、二階から弟夫婦が降りてきてあれこれ雑談をしていた。

ジロウの右手には妻のムーコがおり、大体静かにしている。ジロウは左手にいる弟のサブロウと日本のバンド・ムーンライダーズの話をしていた。そこへ外で用事を終えて帰ってきたジロウの母カヨベエが現れて、ジロウたちの前に立って何となくジロウたちの話を聞いていた弟の妻イェーコに向かってすごい勢いで何やら話だした。
カヨベエのそうした調子はいつものことなので、特に気にすることもなくジロウは、サブロウがライブの話をするのを聞いていたのだが、話が少し途切れたところで、「おばあちゃん目付きが恐い」とサブロウが母に向かって言ったのだ。
子どもを持たないジロウにとってはカヨベエは今も母のままだが、弟夫婦には娘が一人いるので、カヨベエはこの家ではおばあちゃんなのだった。
弟の言葉に反応してジロウがぱっと見た母の顔を見るとその目付きは、確かに陰湿な怒りを湛えた恐ろしいものだった。ジロウはその目付きを見て、意外なものを見た気がした。母親は父親の理不尽な怒りには大いに反応してものすごい剣幕でやり合ったが、相手からのそうした刺激がない限りは基本的に穏やかな人物だと思っていたからだ。
その母が弟の嫁に向かって、町内会の回覧板がどうしたというような他愛もない話ではあるのだが、かなり強い調子で、しかも確かに怒っているとしか言いようのない恐い表情で、延々べらべらとまくし立てているのである。
いつもやり合っていた父がいなくなってエネルギーが余っているということもあろうし、米寿を迎えて物忘れもよくするようになった母は、歳のせいで感情の抑制のたがも外れがちなのだろうと納得はしつつも、自分の知らない母の顔を見てしまった気がして、ジロウに強い印象を与えたのである。つまり自分は、母のこうした顔を見ないように生きてきたのかもしれない。そうジロウは思った。父と怒鳴り会うときの母の顔など見たくもなかったし、おせっかいで何かとやかましくはあるが、普段はおとなしく機嫌のよい母というイメージを勝手に作り上げて、母の恐い顔など極力見ないようにしていたのかもしれないと、自分の母に対する認識の恣意性を疑ったのだ。

翌日は妻の意向で井の頭公園の弁才天に詣でるという東京での副用も済ませ、本当は東京であの人ともこの人とも会いたかった(というよりは会ってともに飲みたかった)という愚かな心残りを感じながらも、翌々日の早朝には再びの成田から福岡に飛び、いよいよ今回の帰国の眼目である熊本の妻の実家への訪問にジロウは備えた。
しかしながら、妻の外祖父の墓参りへの言及も含め、今回の旅で妻の実家で起こったことをここに詳述することは、それがジロウという架空の人物による空想の物語にすぎないとはいえ、そこから起こる意外な反響が現実の時空に余計な風雲を呼ぶことにならないとも限らないので、作者としては敢えてそれをすることはやめておこう。そもそも作者は、妻から自分のことについては勝手に話したり書いたりするなと厳禁されている。ここに書いてあることはすべて作者の空想にすぎないのではあるが、創作を現実と混同する人間があとを絶たないのがこの世の常である。君子危うきに近づかずの格言に従う所以である。
とにもかくにも、福岡でレンタカーを借りて熊本へ一泊の旅程で向かい、妻の実家での絶対的に必要であった任務も滞りなく完了した。
怒濤の観念的嵐が吹き荒れるなか、妻の実家に置かれた今は弾く人もいないアップライト・ピアノでサティのジムノペディ2番を練習する時間も十分に取ることができ、ジロウは何事かを成し遂げたというすがすがしい満足感を味わっていた。あとはすべてが自動的に消滅すればよい。そんな境地にまで遂に辿り着いたのである。

  *  *  *

熊本の用事が無事終わり博多に戻ったジロウは、妻と共にいくつかの買い物の用事を済ませると、その夜は一人で兄のイチロウに会いに行った。
兄の家の最寄りの駅に着くと、兄だけでなく奥さんのヤーコさんも一緒にきている。あれ、今日は兄と二人でと連絡していたはずだが、とジロウは思った。
すると、家が駅から少しあるので、今日は自分が送り迎えをするのだとヤーコさんは説明してくれた。ヤーコさんはジロウには到底分からない様々なアンテナを持っている人なので、多分今日は万全の準備がされているということなのだろう。
兄のイチロウは元々東京近郊に住み書店で働いていたのだが、妻のヤーコが福岡県出身だったこともあって、福岡の地方都市の公務員となり、もう三十年にもなる。
東京で生まれ育った人間が福岡で地方公務員として勤めるのがどのくらい大変なことなのか、ジロウにははっきりとは分からなかったが、自分も東広島で二年ほどを暮らしてみて、西日本のこてこてのヤマト文化の一端を知るに及んで、兄の人生の苦労というものを時折り想像してみるのだった。
しかし、その夜の兄は至って元気であった。いつもなら博多で会うところを最寄りの駅まで来てくれというから、だいぶくたびれているのだろうかと考えていたのだが、それは杞憂だったようだ。
ほとんど店もない寂しい駅の周りに、それでも数軒ある飲み屋のうちのひなびた一軒に入って、酒をちびちび飲みながら、映画や音楽、本の話などを結局四、五時間もしただろうか。若い頃とさして変わりのない、人生の隙間を埋めるためだけにあるかのような、十分に真面目なものではあっても極軽い話を、余計な気を使わずに語り合うことができる相手がいることの幸せをジロウは思った。
店を出て駅まで行くとヤーコさんが現れ、丁寧にも切符まで買ってくださった。ジロウはありがたくそれをいただき、兄夫婦に別れを告げた。

  *  *  *

その晩博多の宿で、ジロウは小説を読んでいる夢を見た。夢の画面には白地に黒の活字が並んでおり、夢のなかの自分がその小説を読んでいるのだ。
小説は兄のイチロウが書いたもので、主人公である一人っ子のイチロウが母の干渉を疎ましく思って、弟のジロウとサブロウを創作するというお話だった。
少年イチロウはレインボーマンの師匠であるダイバダッタとふとしたことから知り合いになり、二人の弟を創作することになる。この二人の弟は月夜の晩になると山猫に変身するのだ。ダイバダッタの指導で修行することにより、人物を創作し、その創作を周りの人間に信じさせる能力をイチロウは獲得し、また自らも思うままに山猫に変身する秘術を身につける。一人っ子だったイチロウは、自らが創作した二人の弟の力を使って過干渉の母から逃れて自由を満喫し、やがてはチリのパタゴニアに移住して夢のようなゲストハウスを経営し、万国のひと癖もふた癖もある旅行者相手に様々なエピソードを繰り広げるのだった。
イチロウの文章があまりにもうまいので、これなら兄貴は作家としてやっていけるな、とジロウは夢のなか思った。そしてそのとき、いや変だな、兄はそんなに文章がうまかっただろうかという思いがよぎり、ジロウは自分が夢を見ていることに気づいた。久しぶりの明晰夢だった。今までの明晰夢では、壁をつき抜けてみたり、空を飛んでみたり、そんな非現実の願望実現に戯れているうちに強い体の感覚刺激から夢を見失ってしまうのが常だったが、この日は活字だけの夢だったため、そういう誘惑は浮かばなかった。ジロウは兄の小説を少しでも長く読んでいたいと思った。
しかし、強い願望自体が夢見の邪魔になる。夢であることに気づき、もっと読んでいたいと思ったときには画面の文字はぼやけ始め、白地も明るさを失っていき、じきにジロウは自分が博多の宿の寝台で寝ているのに気がついた。

部屋はまだ薄暗く、未明の静けさに満ちていた。

ついさっきまで見ていた夢がまだくっきりと脳裏に浮かぶ。見事な文章の構成までが、もう少しで思い出せそうなほどだ。一つ一つの言葉のつながりまでを辿れるほどの記憶力を持たないのが残念だった。
兄の獲得した秘術によって自分と弟が生まれるところを読んだときに、言葉では表現のしようもない情動が自分の体のなかに溢れかえったことをジロウは思い出し、その感覚を再体験しようと体から力を抜いた。
兄の紡ぐ文章の中で、想念の卵子に想念の精子が辿り着き、細胞分裂を開始した。魚になり、手足と尻尾が生え、尻尾は消え、やがて想念の胎児が形作られた。ダイバダッタの魂を宿したイチロウの想念力の賜物であった。
その夢の記憶の再体験は、体の隅々の細胞にいたるまでに強い情動の反応をもたらした。自分が母の腹から生まれたという現実の記述的体験とは比べようもない。何しろジロウにはカヨベエという女の腹から生まれたという実感がないのだ。ジロウには母の腹のなかにいたときには寒くてしょうがなかったという疑似記憶があるばかりだった。
全身を駆け巡る情動の大波に揉まれながら、ジロウは悟った。自分は兄のイチロウによってこの世に生を受けたのだと。
俺は兄の見た夢のなかで芽を出し、茎を伸ばしのだ。兄の孤独と抑圧と不自由が必要とした空想と妄想と幻想を養分として俺は育ったのだ。
ジロウは今まで、母と父が物理的にはそこにいるのに、精神的にはろくすぽそこにいないという不在性からくる疎外を嘆き、その呪縛を逃れることについてはずいぶん自分なりの努力を続けてきた。続けてきただけのことはあって、呪縛を相対化することにはかなりの成功もしていた。
しかし、それだけでは足りなかったのだ。
そして何が足りないのかは分からないままだった。
その見つからないままでいた、パズルを完成するための最後のピースが、ついに見つかったのかもしれない。今まで方々を探し回ったのに見つれられなかったピースが、実はずっとすぐそばにあったのだ。
まだ記憶にも残らない小さな子どものときから、兄は自分のそばにいて、自分の佳き手本となってくれていたのだ。兄がいなければ、今の自分がないのはまったく当然のことだ。そしてまた弟の存在がなければ、自分は今の自分とはずいぶんと違うものになっていたことだろう。そして、他にもそうした無数の、記憶にも残らないような出会いも含めて、どれだけの人やものに助けられて、今まで自分は生きてきたことだろうか。

心身ともに洗い清められるほどの感慨の奔流も収まってゆき、ジロウはまた夢に落ちてゆく。闇を背景に猫尻尾旅荘の裏庭でバンドが天国の歌を奏でる音が聴こえてくる。気がつくとジロウは宿の部屋に一人立ち、窓の外を眺めている。ベランダの向こうには南国の碧い海と白い砂浜が広がり、寄せては返す波が永遠の時を刻んでいる。
生まれ落ちたときの野生の領域を少しずつ離れ、文明化された社会に適応するための過程のなかで、それぞれに困難を抱え続けた山猫三兄弟は、今も自分の夢を見続けてはいるが、そろそろ夢の終わりを意識し始めている。
どこか遠くから鐘の音が響いてくる。祇園精舎の鐘の音が諸行無常の響きをのせて宇宙を震わせているのだ。
常春の地で覚めない夢を覚ますでもなく、バンドは歌い、鐘は響き、波がざわめく。そうした無数の音の重なりのなかで、山猫三兄弟は、そしてすべての存在は寂滅を夢見て、無常の夢を見続けるのだ。兄の見た夢のなか自ずと消えてゆく自分の運命を知ったジロウは、安らかにそのすべてを見つめていた。

** 第一のあとがき

投げ銭作家として活動をしているため、note.comへの投稿記事は基本的に有料記事に設定した上で全文無料の投げ銭記事にしていますが、#ネムキリスペクト 企画へ参加するにあたり、普段通りの投げ銭記事でいいものか、それとも素直に無料の記事にするべきか、考えあぐんでおります。
今回はまた、有料記事なれど第二のあとがき以外は無料設定の投げ銭記事にしましたが、投げ銭まではできないけれど、感想は書きますよ、というありがたい読者の皆さまのため、下記の通り感想をお気軽にコメントしていただけるように別投稿を用意しました。
おもしろかったでも、訳わかんなかったでも、一言コメントいただければ泣きながらとんぼ返りを打って喜びますので、どうぞよろしくお願いいたします。

・コメント用投稿はこちらです。
https://note.com/tosibuu/n/n3e420bb38791

また、ネムキ企画のコアな参加者の皆さまには、山羊の郵便局を使っての感想も毎回いただき、大変励みになっております。
こちらからのお便りは前回もあたふたしていて出しそびれましたが、今回は気合いを入れて書きたいな(希望的観測)と思っておりますので、常連の皆さまだけでなく、ふと気が向く心持ちなどありましたら、どうぞこちらもよろしくお願いいたします。

[以下、有料部には第二のあとがきを置きます。投げ銭がてらお楽しみいただければ幸いです]

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