[全文無料・投げ銭エッセイ] 表現の自由と痴漢天国ニッポン

note.mu のみなさん、ご無沙汰してます。

かねきょさんが、こちら
https://note.mu/kanekyo12/n/n8329aa47c01f
で、性的な表現についての話など書いてらっしゃるのを見て、また、それに関してのみなさんのコメントも読ませていただき、ぼくも感じるところがありましたので、今日のところは少しばかり。

表現の自由に関する大筋の話としては、みなさんが書かれている通りで、

・ 性的な描写についても、基本的に表現は自由である。

・ けれども、自制して住み分けをしたほうがよい。

といったあたりに落ち着くと思います。

その上での現実的な問題が、「自制して住み分けをする」ということを、どうすればうまくいくのか、ということになるのだと思います。

そのとき、

・ネットのような誰でもアクセスできる媒体で、どうやって住み分けをするのか、

・少年向けのメディアの許容範囲をどう考えるのか、

・成年向けのメディアをどの程度「隠す」必要があるのか、

といったことについて、一人ひとりが考える必要があるし、社会全体としても合意を作っていく必要があるのだと思います。

そして、その前提として、

「女と男では、性的な表現に対する意識が大幅に違う」

ということを、きちんと認識する必要があると思います。

ここで、「痴漢天国ニッポン」の話に入るのですが、「男の性的欲求」というものが「自然」なものである以上、満員電車のような環境で、そういう「欲求」が起こるのはまったく当たり前のことです。

もちろん社会的なルールというものがある以上、多くの人は痴漢行為には及ばないわけですが、出来心的にしてしまう人もいれば、確信犯的に痴漢を常習する人もいることは、現実問題として避けられません。

女性専用車両といった制度を使って、物理的に分けることは有効なことではありますが、それだけで完全に防ぐこともできないでしょう。

とすると、ストーカー的な事件についても含めて、まずは女性側がしっかりと身を守る意識をつけることが、やはり必要なのではないでしょうか。

これは、被害にあった女性について、隙があったから悪い、というようなことではなく、男には一定程度そういう「犯罪」を行なう人間がいることを、あらかじめ女性が理解し、そうした「犯罪」から身を守る術を知り、「犯罪」にあった場合に、誰に相談をすればいいかを知っておく必要がある、ということです。

このとき、相談を受ける周りの人間が、被害を受けた女性の気持ちをしっかり受け止めることが必要なのは言うまでもありません。

そして、まったく当然のことですが、男の側も、女性というものが、自分の性的欲求を満たすだけの都合のよい存在ではないことを理解し、パートナーの女性を一個の人間として尊重する必要があります。

学校においても、家庭においても、「性犯罪」というようなことも含めた広い意味での「性教育」というものが、自然に行なわれるようになればいいな、と思うのですが、こうやって文章を書くのはともかく、人と面と向かってこういう話ができるかというと、ぼく自身だいぶあやふやなところがあり、いろいろと難しいものを感じます。

また、ぼくという人間が、自分の奥さんを、きちんと一個の人間として尊重しているか、などということを考えだすと、いやはや、なかなかたくさんの問題を感じてしまうところですが、まあ、人間ですから限界があるのは仕方がないですよね。

ぼく個人の限界はさておき、ニッポンの旧態以前の「痴漢天国・セクハラ天国」状況というものが、なーんか、やっぱりおかしいんちゃう? ということがやっぱりあると思いますので、自分ら大人たちが、恥ずかしながらそういうおかしな状況を作ってしまっていることを、子どもたちに対して認めた上で、現実をしっかりと伝えていかなければならないよなと、改めて思うのでした。

そして、それは、女性に対する抑圧だけでなく、その他のいろいろな差別問題もそうですし、戦争指向や原発指向といった、人権をないがしろにする経済優先の考え方もまったく同じではないかと思ったりするのです。

てなことで、最後はまたまた大風呂敷になってしまいましたが、今日のところはこの辺で。

それではみなさん、ナマステジーっ!!

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