親ガチャに外れたHSP・ASD女
今日は割と衝撃的なものを書いていこうかと。
最後はハッピーエンドになるので安心してください!(^^)!
私はいわゆる「親ガチャ」に外れた一人です。
今でこそ親の虐待はただの躾などではなく、立派な犯罪なんだということが認知されてきていますが、私が子供の頃はそんな風潮はなく、どんなに父親から暴力を振るわれ、暴言を吐かれ、怒鳴られても、児童相談所は来てくれないし、近所の人は通報などするなんて発想もなかったようです。
幼少期からこんな調子で、自己肯定感は下がり続け、いつも自分の存在は薄っぺらいティッシュのようなんだと、ずいぶん長いこと思って生きてきました。
虐待が原因か先天的なものが原因なのかはわかりませんが、私はHSPで、異常に物事や人に敏感な反応をしてしまうところがあります。
とにかく大声で怒鳴ってる人を見ると、未だに頭がパニックになります。
怒鳴ってるわけではなくても、女性の甲高い声と、女性同士のお喋りの声が苦手です。
仕事でも、普通の人がするミスとは違い、行く先々でよく言われたのが、
「こちらの想像を絶する、あり得ないミスばかりする人」
という言葉でした。
派遣社員になって最初の頃、よく上記のような言葉を現場で言われ、お恥ずかしながら実は若い頃2回も契約満了前にクビ斬られた経験があります
( ;∀;)
そんな私でも、気長に見守ってくれた派遣先の上司や社長さんもいましたので、その方々にはとても救われたのですが、やっぱり未だにあの2回のクビ事件はトラウマです。
で、親ガチャの件に戻りますが、やっぱりこういう時って本当は親に慰められたいって思うんですよ。
友達とかじゃなく、親に。
「そうか。お前はよく頑張ったよ!
クビになったからって、お前の人生がダメになったわけじゃないんだ。
お前を解って育ててくれる会社に、これから必ず巡り合えるんだから。
しょげるなよ。お前は大丈夫だ。」
そんな風に言ってもらえたら、どんなにか救われただろう。
そう。
私は、子供のころからそういう暖かい言葉と暖かい抱擁を、両親に期待してきたんです。
でも、それは一度も叶わなかった。
一生懸命、歳の離れた妹の面倒を見ていても、
「そんなの家族なんだからやって当たり前でしょ」
と言われたり、
時々面倒見るのが嫌で、友達とこっそり遊びに行ってしまった時は、
「てめえ、自分の妹可愛くないのかよ?人としてどうなんだよ、お前は!
お前みたいな人間は娘じゃなきゃ絶対に関わりたくない人間だよ。
何で生まれてきたんだよ。このろくでなしが」
と、父親から罵倒されまくりの9歳児でした。
母親も祖母もいたのでちょっとぐらい遊びたいなぁと思って出かけたのを、仕事から帰ってきた親父に母親がチクりやがったせいで、私はいつも怒られて殴られて人格否定をされてきました。
子供時代の大半は、妹の世話を自分なりに頑張ってやってきたつもりだったのに、ほんの少し友達と遊びに行っただけでものすごい剣幕で怒られる。
一度も褒められたことも、暖かく抱きしめられたことも記憶にありません。
30代後半まで、そんなクソ親であっても彼らから「認められたい」「癒されたい」と願っていた自分がすごい可哀そうだなと自分で思います。
30代半ばに一度結婚したことがあり、わずか3年で離婚することになりまして、それがきっかけで一人暮らしをはじめました。
一人暮らしを始めてから、私は独りで今までの人生や、苦しみなどを冷静に振り返る時間が増えました。
いのちの電話に相談したり、カウンセリングも受けたりました。
前世療法などの心理療法も学び、スピリチュアルな勉強もしました。(江原啓之さんや美輪明宏さんの書籍や、シルバーバーチの霊訓などの書籍を読み耽りました)
その中で、私はあることに気づきました。
「私の親は毒親だった」と。
本来なら、親は子供に無償の愛を与える存在です。
子供がしっかり根を張って、この世で生きていけるように、人としてのぬくもりや絶対的な信頼感、安心感などを教える存在であるべきです。
しかし、私の両親はそれらが決定的に欠落していました。
なぜなら、両親もきちんと愛された経験が無い人たちだからです。
愛された記憶や経験が無い人が、我が子を正しく愛せるだろうか?
それは無理なことなんですよね。
あの人達は、人を育てたり愛したりする前に、自分達が愛されなければいけない人達だったんだと確信しました。
私は結婚こそしましたが、子供が出来なくて本当に良かったと思っています。
私も、もし子供が出来ても、その子をきちんと愛せる自信が無いからです。
こういう悪しき世代間連鎖を、ある意味私の世代で食い止めたことになります。
妹も、もうアラフォーですが、未婚です。
一生結婚するつもりも、恋愛するつもりもないそうです。
それでいい。と私は思います。
虐待や家庭不和のメカニズムが、様々な書籍や心理療法の学びのお陰で、すっと腑に落ちたので、私はもう一生両親とは関わらない、両親から愛してもらおうとは決して思わないと、心に誓いました。
両親と、生きながらにして「告別式」を自分の心の中で行いました。
それは、40歳を過ぎて数年経ってようやくのことでした。
それからは、私は自分で自分を罰するのをやめ、自分で自分を愛そうと決めました。
どんな小さなことでも、日々の暮らしの中でとにかく褒めて褒めて褒めちぎってみました。
「朝早く起きれてえらいね!よく頑張ったね!」
「今日も目が覚めた。生きてるじゃん、あんな親の下に生まれたのに本当にえらいよ。」
「掃除ちゃんとできたね。えらいえらい。頑張ったよね、私」
・・・こんな風に毎日毎日自分に向けて褒める言葉をかけ続けた。
そうしたら、親から褒めてもらいたかったとか、親に認められたかったなどと、一切思わなくなりました。
いつも死にたいと思っていたのに、「自分褒め」を始めたら全く思わなくなりました。
「何が何でも生きてやる!」
「金持ちになってやる!」
「金持ちになって、自分と同じ思いして辛かった子供たちや、虐待された動物たちのためにお金を使いたい」
そんな思いが強くなっていきました。
今は全然死にたいって思いません。
かといって何が何でも長生きしたい!とも思いません。
とにかく、与えられた命に感謝して、最期の日まで精一杯生きていこう。と思うようになりました。
それでも人生ままならないことだらけで、イラっとすることや怒ることもありますが、死にたくはないですね、別に。
今は完全に、家族とは別々の人生を歩んでいると実感しています。
重い荷物を捨て去ったってことですね。足取りはとっても軽いです♬
HSPやASD(自閉症スペクトラム)を抱えた、敏感コミュ障は治らないみたいですが、それでも昔よりはずっと生きやすくなって、繊細さんな自分もOK!と受け入れてます。
出会ったパートナーも、HSPとADHD持ち。
なかなか面白い二人で、ぶっ飛んでて楽しいですよ。
自分の心が良い方に変化したから、きっと今の彼に出会えたんですね。
彼のお陰で、さらに生きる勇気が持てるようになりましたしね!(^^)!
私のような成育歴の人が、犯罪に走ったりすることは少なくないそうです。
でも、私は幼い頃から何故か、神様や仏様を信じてる人間だったので、きっと肉体の親より魂の親(いわゆる守護霊)との結びつきが強かったんだと思います。
魂の親は、私を崖から突き落として、「這い上がってこい!自分で自分の人生の成功をつかめ!」って厳しくしてくれたんだと思います。
魂の親は、肉体の親から生まれ落ちた私を、100%の愛でずっと包んでくれていたんです。
別に変な宗教とか入ってませんよ笑
神社仏閣は好きですけど、特定の宗教に属すのは嫌いです。
神仏の存在を、無意識的に感じていたから、私は犯罪やドラッグに走ることなく、ここまで何とか無事にやってこれたんだと思っています。
だから、親ガチャに外れた子で、犯罪やドラッグに手を染める子を、差別したり嫌悪したりはしません。
私も一歩間違えていたら、彼らと同じ道を歩んでいたかもしれないのですから。
いつか、そんな辛い目に遭ってる子たちを助けられる自分になりたい。
そんなことを考える日々です。
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