神様に愛される人の3つの条件

最近、「神様が見える子供たち」という動画にハマっていて、その中で特に刺さった言葉を紹介しつつ、それに対しての自分の思いや経験なんかも書いていこうと思ってます。

上記の子供たちは、長女、長男、次男の三姉弟で、全員、神様と話せるみたいです。

大人が「神様と喋れる」とか言うと、ちょっとキナ臭い感じしますけど、まだ小学生の子供たちが言うと、何だか急に説得力が増します。
ピュアで邪気が無いからでしょうね、きっと。

色々ある動画の中で、一番胸に刺さった動画があって、シチュエーションとか、どこの神社にいたかは覚えてないんですけど、とにかく神様が言ってたらしい言葉ははっきり覚えてるので、みなさんにもシェアしたいと思います。

まずは、

「頑張らない」。

結構衝撃じゃないですか?

今の若い子なんかは、もしかしたらこれが身についているかも知れないですが、私の若い頃は、

「頑張ることが美徳」「頑張らずして結果は出ない」「頑張れない奴は根性が足りない、気合いが足りない」

などの考え方が当たり前で、それを強要する親や教師、職場の上司などがいっぱいいました。

でも、どうしても苦手なことや、魂レベルで受け付けないことは、どう頑張っても無理なんですよね。

私の場合は、集団行動と雑談力が壊滅的に苦手。

学業では、理科と算数と社会が苦手。

でも、「せめて平均点はとりましょう」という、周囲の謎の洗脳により、上記のことを必死で頑張りましたよ。

仕事も、苦手克服のために休み返上で頑張ったり、本当に涙ぐましい努力をしましたよ。

ある程度は克服できたところもありますが、とかく人間関係は苦手過ぎて、本当になかなかみんなと仲良くは無理でした。

(友達100人出来るかなは呪いの歌です( ;∀;))

30代前半くらいまでは、超頑張り屋でした。

軋むほどの頑張りの結果、重度のうつ病になりました。

それがきっかけで、自分の人生を考え直す時間が出来、この病を境に、全く頑張らなくなりました。

結局、人の目が気になっていたり、他人軸で生きていたから、期待に応えるために頑張っていたんと気づいたんです。

頑張らないと決めるのは、実は覚悟が要ります。

他人から非難されたり、がっかりされたりするからです。

その他人の反応に負けたらまた「頑張り屋さん」に逆戻りです。

でも、重い精神疾患に陥った私に、他人の期待に応えられるほどの、精神的余裕などありませんでした。

とにかく「頑張る」ことをやめないと、どうにもこれから生きていけないという事態にまで発展していたからです。

だから、もう生きることになりふり構っていられなくなったので、きっと「頑張らない」という言葉がスっと自然に心に染み入っていったんだと思います。

本当、いい言葉。

続いては、

「諦める」。

これもなかなか出来ない人、多いんじゃないですか?

「諦めるとは何事だ」「一度決めたことは最後まで諦めたらいけない」「すぐ諦めたら何も続かない人になるよ」

こんな呪いの言葉をかけられて生きてきた人、相当多いと思います。

諦めるって本当に大事ですよ。

この歳になったから思うんですけど、

「努力は必ず報われる」

は嘘だと思います。

努力すれば何でも叶うとか、そんなわけないですからね。

努力しても、無理なものは無理です。

叶わない夢や希望もあります。

その人が、その道で活躍する素質とか流れ・道筋などがある場合、努力は報われる可能性は高いです。

しかし「素地」がないのに、あるいはとことん苦手・嫌いなのに、「努力すれば報われる」はだいぶ間違ってますよ。

時に人間は「諦める」という判断をしないと、辛すぎるという現実が待っている場合が往々にしてあります。

「諦める」って、断腸の思いだったりすることもあるけど、その方がかえって長い人生を鑑みた時に正解だったりするんです。

見切りをつけることも大事です。

何事も執着しすぎると、生きづらいです。

私は今もはや「諦めの達人」。

勝算の見込みのない戦いは、最初から挑まない。

人間関係でも諦めは早いです。

基本的に「無理なものは無理」というスタンスなので、本当に執着が無く、ラクチンです♬

「諦める」ってある意味、自分が背負っている(本当は背負わなくてもいい)荷物を下ろしていくことだと思うんです。

私って本来、苦手なことや苦手な人、出来ないことが割と多いんですよ。

だから、昔はソツなく何でもオールマイティにこなせる人が羨ましくて、自分も器用に生きたいって、それこそ頑張ったこともあります。

でも、やっぱり無理なものは無理。

凸凹がありすぎて、苦労したけど、頑張るのを辞めて、諦めることにしたら人生が随分ラクになりました。

最後は「真面目をやめる」。

特に日本人はこれが出来ない人が圧倒的に多い。

真面目が美徳という考え方が根底に流れているから。

あの、別に犯罪犯せって言ってるんじゃないですよ。

人〇しや窃盗、薬物や詐欺など、警察沙汰にならないことならはっきり言って何やったっていいんですよ。

もう究極的なこと言うと、

「生きてるだけで、息をしてるだけでOK」

なんだと思いますよ人って。

寝てばっかりの自分。

ダラダラして1日過ごしちゃう自分。

1日ゲームしちゃう自分。

たまに仕事飛ばす自分。

人に後ろ指差されないように、清く正しく生きてたら、人間はどっかで壊れます。

若いうちなら、まだ生き方を変えられる柔軟さがありますが、60代とか過ぎてまでずっと真面目人間やってると、今まで品行方正にやってきた「ツケ」が廻ってきます。

これはなかなか心身に堪えますよ。

だから日本人の老人に、ガンや認知症が多いんです。

世界的に見ても圧倒的に多いそうです。

ガンは「我慢強く」で「頑固」な人がなる病気。

認知症も、ずっと真面目やってきた人がなる症状。

真面目は体にも精神にもよくありません。

多少、不真面目やってる不良中年の方が人生楽しんでる人、多いですよ。

うちの祖母がまさに「不真面目」で「頑張らない」人でした。

けっこう不愛想だし、あんまり人とのコミュニケーションが上手じゃない人だったけど、めっちゃ人情家で、困ってる人がいたら何も言わず、そっと手を差し伸べる人でした。

常識で生きてる人たちからは、生前、相当バッシングされたみたいですけど。

私は祖母の生き方、同じ女性としてすごく好きです。

きっと普段から「自分軸」で生きてたから、心に余裕があったんでしょうね。

さらに、金銭的にも余裕があったみたいだから、お金が無くて食べられない人にご飯作ったり、空いてる部屋に住まわせていたこともあったそうです。

祖母は、神様に愛されていた人なんだなぁって、今この歳になってすごく思いますね。

豪快である意味非常識・不器用な人でしたけど、あの生き方を大正生まれがやってのけていたって、かなりアバンギャルドだと思いますよ。

多くの日本人が見習うべき生き方だと思います。

犯罪や人としての一線は超えず、激動の時代を正直にしなやかに生きた人だったと思います。

まさか自分の祖母が「神様に愛されてる人」だったとは、今この記事を書くまで気づきませんでした( ゚Д゚)

真面目にやっても、頑張っても八方ふさがりの人、思い切って今までの常識を疑ってみて、もっと自由に「自分軸」で生きてみませんか?

他人軸の不安定な平均台の上を歩いていると、本当の自分が解らなくなってきて、本当に四面楚歌・八方ふさがりになりますよ。

それで病気や事故・リストラなんかに遭ったりして・・・

でもそれも実は、「神様からの強制終了」だったりするんです。

それが起きた時、それは嘆かわしいものでも、人生終わりのサインでもなんでもないです。

神様が「自分を思い出せ!そのために、休め!」って仕向けてくれた贈り物なんですよ、実は。

そうなったとき、あなたの人生大逆転の大チャンスですよ♪

私も上記の3つを実践してから、本当に生きるのが楽すぎる。

今、人生詰んでる方はぜひ「頑張らない」「諦める」「不真面目になる」を実践してみてください。

生きるのも、息をするのも本当に楽になりますから。

ぜひ「神様が見える子供たち」の動画、試しに見てみて下さいね。

あなたの生きる参考になれば幸いです。

長くなったので、この辺で。



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