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自己紹介ということで・・・

とある福祉施設で働き続けて23年。
あっという間という感じです。
お陰様で色んなものを見てきましたし体験もしてきました。

私は最初は、ミュージシャンになりたかったんです。
私の世代は小室ファミリー全盛期。
1990年代。本当に夢多き年代でした。
世間はバブル崩壊後の不良債権問題、アジア通貨危機など、
大変な時期でしたが、一人だけ成功していた人物がいらっしゃいました。
それが小室哲哉氏でした。
ちょうどその頃、私は中学生でした。
当時私は学校で酷いいじめに遭っており、
「もう死のうかなぁ」と漠然とした思いを抱きながら過ごしていました。
そんな時、姉と姉の彼氏が私をボーリングに連れていってくれました。
ボーリング場って、各レーンにモニターが付いていますよね?
ゲームを終え、ボールを片付けている時、
空きレーンの所のモニターに、あるミュージックビデオが流れ始めたのです。

その曲は、trf「EZ DO DANCE」

早いテンポと激しいダンス。
「え!?なにこれ!?これ音楽なの!?」。
ボーリング場全体を包み込むように曲が流れており、
私は言葉では言い表すことができないぐらい
その音楽に衝撃を受けました。
それからというもの、私はTMNetwork時代まで遡り、
小室氏の作品を毎日毎日聴きあさりました。
小室氏が出るテレビ番組や雑誌は必ずチェック。
小室プロデュース作品も必ずチェック。
自室には祖父が買ってくれたピアノがありましたので、
小室氏の楽曲の楽譜を買い、毎日夢中で弾きまくっていました。
幼少期にピアノ教室に通っていたので、
すぐにそこそこ弾けるようになりました。
そうした毎日を送り続け、次第にある強い思いに駆られるようになりました。

「自分は小室哲哉になる!」
「小室哲哉になっていじめた奴らを見返してやる!」

その思いを胸に秘め、高校卒業と同時に音楽制作を始めました。
当時は就職氷河期。
しかし幸いにも私は今の福祉施設への就職が決まっていました。
給料は家に数万円入れて、あとは音楽制作用機材へ投入しました。
しかし、30歳になった頃とんでもないことに気付いたのです。
音楽制作用の機材は当時はかなり高額なものばかりでした。
当然、一括で買うことはできず、一つ一つがローン契約。
すると、雪だるま式にみるみる借金が増えていったのです。

そして、

37歳の時、個人再生手続き開始。
弁護士の先生に調べていただいたところ、
借金総額は1,200万円まで膨らんでいました。

もう頭の中が完全に麻痺していたのです。
「いつか印税で取り返せる!」
そう言い聞かせて自分の現状と向き合うことを一切しなかったのです。
今考えてみると本当に愚かでした。

「いじめた奴らをいつかきっと見返してやる!」
そう、胸に秘めて走り続けていました。
いじめた奴らを見返してやるどころか、
いじめた奴らの方がいっぱしに良い会社に入って、家庭も築いて、
一人前の大人になっていました。
結局は私自身がいつまでも過去にとらわれ、成長できずにいたのです。

何だか病み記事になってしまいましたね(笑)
申し訳ないです。

しかし、これだけは言わせてください。
小室哲哉さん、ありがとうございました。
あなたがいなかったら今の私はこの世にいなかったでしょう。

私はどん底まで落ちた人間です。
しかし、どん底を経験したからこそ見えてくるものもあります。

それは、世の中に対してや自分を辱めた人間に対しての復讐心からきているものではありません。それでは単なる八つ当たり、全く自分自身が成長していないということになりますから。

コロナ禍3年の間で、私は世の中の様々な欺瞞に気付いてしまいました。
本当に素朴に「これはおかしい・・・」と、
私が感じた様々なことを記事にしていきたいと思います。
様々な異論はあるかもしれません。
いや、必ずあるでしょう。
しかし、一石を投じることはできるはずです。
思考停止に陥った多くの皆さんが考えるきっかけになってくれれば幸いです。

これからよろしくお願いします。