見出し画像

【短編小説】幸せに・・・

麻美子は、リビングに置かれた二段式の祭壇の前に横座りし、夫の遺影を見つめていた。

麻美子は、この一週間ほどの出来事が、今でも受け入れられないでいた。

夫の和義は、会社で急に胸の痛みを訴えて倒れた。
すぐに病院に運び込まれたが、処置の甲斐なく天国に旅立った。

突発性心室細動というものだそうだ。
夫は、心臓に異常はなく、健康診断でも悪い判定が出たこともない。
それに、まだ35歳だ。死ぬような年齢じゃない。

優しく微笑む夫の遺影をみると、麻美子は、喪失感と寂しさで胸が張り裂けそうになる。
また、涙がでてくる。泣いても泣いても涙は枯れない。

「ブーン」

ダイニングテーブルの上でスマフォの振動音がした。
麻美子のスマフォだ。

麻美子は、指で涙をぬぐった。
そして、立ち上がり、スマフォを手に取った。

メッセンジャーアプリのメッセージを1件受信したという表示。
アプリを立ち上げてメッセージを見る。

「え?」

差出人は夫の和義だ。

麻美子は、戸惑いながら、スマフォの画面をタップして本文を表示する。

「今日は、定時で帰れそうです。このところ残業続きで申し訳ないです。

何か、欲しいものがあれば買ってかえるよ。教えて」

麻美子は、あの日の朝、夫が仕事に出かける前、定時で帰れそうなら後で連絡すると言っていたことを思い出した。

夫が亡くなった当日、倒れる前に送ったメッセージだろうか。

夫のスマフォは、二段式の祭壇の上段に置いてある。
私を含めスマフォの中を見たり、操作した者はいない。
1週間も経ってから送られてきた理由はわからない。

しかし、夫の優しさが垣間見えるメッセージに、麻美子の目にはまた涙があふれてきた。

このメッセージへの返信ができなかったことは、仕方のないことだ。
しかし、麻美子には、返信できなかったことがとても寂しく、悲しかった。

麻美子は、こみあげる嗚咽を我慢しながら、スマフォでフリック入力し、送信ボタンを押した。

「あなたへ。

早く帰れるのですね。よかったわ。
このところ、ずっと遅くまで仕事だったもの。

買ってきて欲しいものは、特にないわ。ありがとう。

夕飯作ってまっているからね。」

麻美子は、亡くなった夫に返信しても仕方ないことだとわかっていた。
しかし、返信ができなかったことへの寂しさ、亡くなったことがまだ受け入れられない気持ちなどがないまぜになった感情が勝った。

「ブーン」

手に持っているスマフォが、また振動した。

また、メッセンジャーアプリのメッセージだ。

差出人は、夫だ。本文を表示する。

「さっき、頼むのを忘れていました。

実家の雨漏りの件、結構ひどそうなので、本格的に修理しようということになりました。
それで、実家に修理費の援助をしようと思うんだけど。どうだろう。

100万くらいあれば両親も助かるだろう。

もし、了解してくれるなら、申し訳ないんだけど振り込んでもらえませんか。
最近、台風や大雨が多いからできるだけ早く修理したほうがいいかなと思います」

迷惑かけるけど、おねがいします。

実家の口座は ⚪︎⚪︎バンク ××支店 普通 03× × × × ×」

麻美子は、夫の実家の雨漏りの話は聞いていた。葬式が終わった後にも、夫の両親が雨漏りの話はしていたことを覚えている。

優しい夫のことだ、両親のことを気にして亡くなったのではないか。私ができることは、そんな夫の最後の願いを叶えることだけだ。

そう、思った麻美子は、すぐにパソコンを立ち上げ、取引銀行のサイトを開いた。

そして、自分の口座から、夫の実家の口座に100万円を振り込んだ。夫の実家の取引銀行が外資系銀行だったというのは驚いたが、まあそういうこともあるだろう。

しばらくして、義理の父親から電話があった。

「麻美子さん。
今、麻美子さんから100万円振り込まれたんだけど、これは何のお金?」

麻美子は、夫の両親が、子供の死で、雨漏りのことは忘れてしまったのかもしれないと思った。
義父には、夫のメッセージのことを詳しく話した。

驚いた義父が言った。
「確かに雨漏りを修理しようという話は妻と話していたんだ。ただ、和義には、その話はまだしてない。というか、話はできないんだ。決めたのは葬儀が落ち着いた後なんだ。もちろん、和義には、これまで費用の話は何もしていないんだよ。」

義父の言葉に麻美子は混乱した。
「じゃあ、夫のあのメッセージは・・・・・・。」

義父との電話が終わり、麻美子は通話を切った。

スマフォを見ると、メッセンジャーアプリがメッセージを受信していた。

麻美子は、本文を表示した。

「麻美子。振り込んでくれてありがとう。両親も助かると思います。

最後まで麻美子には迷惑をかけました。

麻美子と結婚して幸せでした。もっと一緒にいたかったけど仕方ありません。

もう、私のことは忘れて、麻美子は麻美子の人生を送ってください。

麻美子が幸せになることが、私の幸せなんです。

これまで、本当にありがとう。

和義」

(終わり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?