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「レ・ミゼラブル」第5部ジャン・ヴァルジャン ユゴー作 感想文

イラストを「健気だったガヴローシュに捧ぐ」

全てを読み終えた達成感と満足感とでしばらく放心してしまった。

1795年の終わり、たった一片のパンの為に投獄されたジャン・ヴァルジャン。
その時代は、ちゃんと裁判もされずに情状酌量もなく、最も酷い状態の中で、彼の人生全てを狂わせて行ったにちがいない。

彼はいつも人を憎んでいない。
どんな人間の状況もそのまま受け入れて理解しようとしている。いつも自分を主張しないで相手がどうしたいかを凝視してそうしてあげている。
いつも自分自身を蔑んでるように見えた。自分が一番下であると考えれば、周りを冷静に客観視でき、良いことも吸収できる。
しかしずっと「徒刑囚」が影となる。
ジャン・ヴァルジャンの人生は最後までそうであった。
「進歩」した彼。マリユスがひれ伏した崇高さ。

しかし彼はたった一度マルユスを憎んだ。
ここにジャン・ヴァルジャンの最も強い人間味を感じた。コゼットの存在は本当の親子の愛以上に彼の独占欲を増大させたのだ。彼にとってたった一つの愛であった。
本当の子供であれば、その子の幸せな顔を見たいはず。その愛はその時やや歪んでいたのだと思った。


「進歩は段階として革命を伴うであろうう」p.126 新潮文庫

その革命は時として悲惨な状況を生み出す。己を顧みず人への献身に尽くしたカヴローシュの幼い死が残念でたまらなかった。その最後があまりにもあっけなく時代に呑み込まれてしまったこと。
この犠牲は、決して割り切ることが出来なかった。

一巻のことを思い出す。たしかジャヴェールの生い立ちが服役囚の父と同じく服役囚の「トランプ占い」のジプシー女(娼婦だったか)の子として徒刑場で生まれたと書かれてあった。

ルーツはジャン・ヴァルジャンの環境と同じだ。
ジャヴェールが法の下(もと)で身を立てて行くしか術がなかったことがわかる。

法に縛られた彼の義務とは何だったのだろう。それは彼自身の良心とは別のものであったと感じてしまう。
そしてジャン・ヴァルジャンの崇高さを認めて、彼は全ての法から解放された。それは自殺という道を選んだことで、彼の信仰さえも手放したのだと感じた。

それが本当の自由であったどうかはわからないが、その全てからの解放はあまりに悲しすぎて、人間ジャヴェールをもう一度考えずにはいられなかった。

ジャン・ヴァルジャンがジャヴェールを撃つことなく解放したところは、私の中で一番のシーンだったかもしれない。
自殺のシーンをもう少し膨らませてほしかった。一人は淋しすぎる。

汚い臭い下水道からの脱出、救出は本人に伝えられない事情もあったが、しかし伝えなければならない。ものすごく歯痒かった。

この崇高な人物がこのまま真実もわからないままマリユスとコゼットにも虐げられ、看取られずに死んでしまっていいのだろうか。これでは6巻まで必要ではないかと案じながら読んでいた。

意外なテナルディエの出現に、少々胸が高鳴った。そして相変わらず酷いまま描かれているテナルディエにも少し安心したりして、この事実がマリユスに伝わったあたりから、涙が止まらなくなり、ラストシーンまで突入した。

ありふれたラストシーンかもしれないが、この結末が私は大好きだった。
さもないとこれからずっと眠れなくなってしまう。

引用はじめ

そのドラマの真の題名は、「進歩」である。
進歩!
私がしばし発するこの叫びが、私の全思想である。  p.135

引用おわり

ユゴーの強い言葉。

時代も登場人物もその差こそあれ、みな「進歩」していた。良くも悪くも変化していた。そのそれぞれの姿が心に焼き付き、私の中で映像となった。

この作品に出会えて、またその機会をつくってくださったことに心から感謝します。


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