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「夜と霧」 ヴィクトール・E・フランクル  感想文

ホロコーストによって命を落としたユダヤ人は、600万人だったという。

第一次大戦後、敗戦したドイツに科せられた賠償金や世界恐慌の影響で失業者も600万人に増大した。

ヒトラーが公共事業などの着手によって、失業問題を解決し、失業者を50万人にまで減らした事実があったのだ。

同じ数の人間が、ヒトラーに無惨な殺され方をし、同じ数の人間が我が身の回復を喜びヒトラーに熱狂した。この運命の皮肉に心が凍りつく思いだった。

世界が強い指導者に熱狂していく姿があまりに恐ろしかった。

不穏な世界状況に包まれてしまったその時、その恐怖を拭い去る強者を勇者とみて傾倒していく国民、人間達。

弱い立場を救ってくれるものが正義であると信じてしまう危うさを、自分も持つかもしれないということを思うと本当に怯えてしまった。

そんな時こそしっかりと気づかなければならない。そして見抜く力を養わなければならない。
ひとりでも貫ける冷静で強い意思を持ちたいのだ。

身ぐるみ剥がされ、髪の毛はなく身体ひとつになった時、人は「困難な外的状況」にはとても脆(もろ)く弱い。しかし内面は、そして精神はとても強い可能性を秘めていた。その姿をこの作品でフランクルは細部にわたり訴えかけるように教えてくれたのだ。

飢餓浮腫に悩まされ腫れ上がる足、飢えの中で朦朧としながらも、次の選択を迫られる。いつ戻れるか期限の見えない明日。病と分かれば「選別」されてガス室へ。一瞬も気の抜けない緊張感を人間は自ら防御した。

「感情の喪失、消滅」、「無関心」、「非常さ」。現実は一切遮断され、感情生活は命を維持しながらえることにだけに注がれた。「原始的な本能」は、一見冷徹のように感じるのだが、それが心を守る盾となっていた。精神のメカニズムには自己防衛、生きぬく術が隠されていたのだ。

そんな過酷な環境の中で、「文化の冬眠」が支配する収容所でも、「政治への関心」と「宗教への関心」はあったという。
闇の中でささやかに祈る被収容者の姿を想像すると胸が熱くなった。

フランクルは、何度か「脱走」を計画したが失敗、その「やましさ」に気付き「まっすぐな道を行くこと」を決心した途端、「かつてないほどの安らかさ」を感じたのだ。
どんなに無慈悲で過酷な状況でも「なすがまま」の運命を受け入れるもう一方の道を選んだのだ。

「人間の運命には限りがあるということを受け入れる」、「過去はすべてのことを永遠にしまってくれる金庫なのです」(ETV特集)と、フランクルは語っていた。

愛する妻の面影と語りあっているような、そして妻の微笑みを想いながら、それらをいっときの救いにした。
現況から逃れさせてくれる、人を愛する魂をフランクルは持っていた。
そして、失った学術書の草稿を完成させるという「目的」がフランクルを生還させたのだ。「愛と目的」を持つ意味を見つけ出し、そして逃れられる自意識があると、被収容者と現代の私達にも伝える義務があるのだと考えたのだ。

収容生活そのものに「ほかのありようがあった」p.110
苦しみの中から一人一人の被収容者を見つめながら、精神科医と心理学者の立場を駆使して、フランクルは答えを出した。そして何より「生きる意味」を見出したのだ。

引用はじめ

「感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や最後に残された精神の自由、つまり周囲はどうあれ『わたし』を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつと見受けられた。

中略ー 人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことはできるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという人間としての最後の自由だけは奪えない」(みすず書房 新版 p.110)

引用終わり

苦境に立たされ、罵倒されても心の中と頭の中は奪えない。そしてその中の自由は自分で守れると、日常でも同じようなことを考えていたので、とても身に沁みた。

そして書かずにはいられない、

「わたしたちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら生きることがわたしたちから何を期待しているがが問題なのだ」p.129

フランクルは、収容所での我が身のことよりも、すべての絶望している人間にこの言葉を伝えたかったのだ。

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