ふと最初に漫才をやった時のことを思い出した話

突然及川は、大学生になってお笑いサークルに入ったことで漫才を始めた。
…と思っていたのだが、ふと、もっと昔に漫才をやっていたことを思い出した。

確か小学2年生の頃だったと思う。
クラスで「おたのしみ会」という、いわゆる学級レク的なものをやることになった。
詳しくは覚えていないが、オリジナルゲーム担当、オリジナル紙芝居担当みたいな感じで、出し物をクラスメイトで分担して当日発表して楽しもうみたいな感じだったと思う。
その時、何を思ったかショタ然及川はお笑い担当に立候補した。
自他ともに認める真面目なインドアタイプだったショタ然及川が、まさかのお笑い担当に立候補したのだ。

理由を考察してみた。
当時のショタ然及川は、ジャポニカにオリジナルの4コマ漫画「のんきくん」を書き殴っていた。
棒人間にちょっと毛が生えた程度の画力で、コボちゃん的な内容の4コマを書き殴っていた。
そして当時、「笑いの金メダル」という番組などで鉄拳が子供たちから大人気だった。
この二つが合わさって、「ボクも絵でみんなを笑かしたい!(ショタボ)」と思ったんだろう。
かくして、ショタ然及川はお笑い担当として「おたのしみ会」に向けてネタ作りをするわけである。
この時、お笑い担当は自分含め4人いた。
そのうち、そこそこお話したことがあるS君とコンビになってネタを練った。
お互い鉄拳が好きだったので、鉄拳みたいなフリップを2人でやろうということで方向性が決まった。

考えてみてほしい。
全くネタを作ったことがない小2が、いきなりコンビでネタを作ろうなんてできるだろうか。
うんちやらちんちんやら言えばそりゃ笑いを取れるかもしれない。
だが、ショタ然及川とS君の今後の生活を考えると、安易にうんちちんちんとは言うべきではない。
※現在の突然及川を見て「嘘松」と言う人、否定しない。
うんちちんちんを封印した状態で、鉄拳のようなあるあるネタをたくさん考える。
そしてそれを伝わりやすい絵にする。
今思えば、とんでもねえ無理ゲーをものの数週間でやろうとしていたのだ。

「鉄拳みたいなネタやりたいねー」
「そうだねー」
「テーマ何にするー?」
「うーん…」

なんと、ネタを1つも決められないまま、おたのしみ会当日を迎えてしまったのである

自我が芽生えた人であれば、こんなん地獄でしかない。
おたのしみ会?ふざけんなである。
フリップなんて1枚も書いていない。
台本すら用意していない。
というか、何をするか全く決めていない。
当日S君と何の打ち合わせもしていない。
THE SECOND最終決戦のマシンガンズよりもやばい状態。
しかし、ショタ然及川とS君は、ちゃんと学校に来ていた。えらい。

おたのしみ会は進行する。
具体的な内容は覚えていない。
ネタを一切作らずに舞台に立とうとしているのだから、(どうしようどうしよう…)とそわそわしていたに違いない。
おたのしみ会、たのしめていたのだろうか。

ついにお笑い担当のプログラムに突入してしまった。
ショタ然及川とS君のコンビが、何のネタも考えず、何の打ち合わせもせず、生身の状態で前に立たされる。
いっつも真面目な及川君とS君はどんなことをするんだろう…?
クラスメイト約40人と担任の先生が注目する。

何かしなければ…

ショタ然及川「き、き、き、き、季節って何があったっけ?」

覚えている。
この言い方で笑いが起きたことを。
ショタ然及川は、全くノープランで四季のことを話し始めたのである。

全くノープランだったのにS君は呼応した。
S君「ええ、季節って何あったっけか?」
よくぞ対応してくれた。

具体的な内容は覚えていないが、二人で季節を少しずつ思い出していくような内容だったと思う。

完全に即興で漫才をしていた。

オチはしっかり覚えている。
ショタ然及川「となると季節は、春・夏・秋・冬・3学期?」
S君「3学期は違うよ」
めっちゃウケた。

全くノープランで始めたにもかかわらず、しっかりとオチをつけて笑いをとって舞台を降りたのである。
今思えば、ショタ然及川とS君はとんでもねえことを成し遂げていた。

そのあと、お笑い担当もう2人によるコントもあって、そちらも結構ウケていた。
が、死をネタにしていたという理由で後日先生から叱られていた。
いや、小2にコンプラはキツイって。

8歳の時にこんなとんでもねえことを成し遂げたというのに、この次漫才をするのは約10年後のことである。ブランクありすぎだろ。

なお、当時コンビを組んだS君は、おそらく元気に社会人として過ごしている。結婚したらしい。

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