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コスパ・タイパは手段であり、目的は自分のやりたい事・ありたい姿

何年も前からコスパという言葉がもてはやされ、タイパという言葉が効率的に賢く生きる人のライフスタイルの一部と”定義”されたような気がする。
私自身も動画は倍速で見てしまう。
ただ時折、残り何本の動画を見終わりたいと"消費"の感覚になっていることを自覚し、自省する。
よく「手段を目的化してはいけない」と言われる。
しかしながら、意識しなければ、日々目の前の物を消費することを、すぐ目的としてしまう。
本来は、目的がその動画を見る等その行動で「何を得られるか?どういう気持ちになるか?」が重要であるにも関わらず。。

上記2件の動画で、コスパ・タイパについて、改めて考えさせられた。
2人とも医師になっているが、医大浪人・国家資格浪人をしている。
しかも、前者は57歳で早期退職してから、後者は主婦として小さな子供の子育て真最中にだ。
コスパ・タイパから考えると、失礼だが非常に悪いと思われる。
医師として勤務できる残り期間から考える得られる金額。
それに対する医師になるための費用。
前者はエンジニアだったそうだ。
その年齢になるまでに学んできた知識を、定年後に活かす道もあっただろう。
キャリアを無駄なく使えて、タイパもよいだろう。
後者は、7浪の末の医学部合格だった。
しかも、勉強し始めた時の学力は決して高くなかった様子。
時間に対するパフォーマンスは”他人から見れば”決して高くないはずだ。
「自分自身が、また周りに対してどうありたいか?」2人にとって目的がぶれていないこと。ただただ、語彙力が低いが、すごいと思わされる。
人生で何か一つくらいは、損切りをしないように生きてみたい、、と考えさせられた。


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