幸せの探究者

地方出身 ⇒ 新卒で関東にて就職・うつ病発症 ⇒ Uターン就職 ■地方国立大理系院卒/…

幸せの探究者

地方出身 ⇒ 新卒で関東にて就職・うつ病発症 ⇒ Uターン就職 ■地方国立大理系院卒/ 電子エンジニア/ 独身・婚活中/ 双極性障害Ⅱ型/ 何者かになりたくて"もがき中" ■youtubeで幅広いジャンルの動画を視聴するのが趣味 ⇒ 自分に刺さった動画を多くの方に情報共有したい!

最近の記事

私は自らをとりまく状況の産物ではない。自らの意思決定の産物だ。

タイトルは、「7つの習慣」の著者として知られるスティーブン・R・コヴィーの言葉だ。 "親ガチャ"という言葉が流行るなど、私たちは自分を取り巻く状況や環境が今の自分を作っていると考えている。 当然、その一面はあると思う。 年齢が若ければ若いほど、その影響度は高いはずだ。 生まれたばかりの子供に、自らが選択できる範囲は著しく狭い。 しかしながら、年を重ねるにつれ、自分自身が自分を形成していくことを思い知らされる。 「20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生き様。だ

    • こんな世の中だからこそ、言葉より感情に向き合いたい

      テレビやネットなどで多くの議論を目にすることがある。 ひろゆきさんをはじめ、どちらが”論破”できるかに注目が集まっている気がする。 どちらの論理が正しいのか。どちらの言葉が正確か。 その際、感情的な訴えは、論理的でない「感情論」として取るに足らない扱いを受ける。 はたして、本当にそうなのだろうか? 人間の言動の話にも関わらず、感情を考慮してはいけないのだろうか? 論理⇔感情の二元論で語られることが多いが、排他な関係ではないと考える。 脳科学者の恩蔵絢子さんが、認知症の母と過

      • 予測と希望を区別する

        昨日、経済評論家の山崎元さんが亡くなられた。 Youtube等でよく拝見していたが、がんの闘病中でも動画に出られ、精力的に活動されていたことが印象的だった。 上記の動画では、資産形成の話が主だが、気になる一言があった。 それが本文のタイトル「予測と希望を区別する」 これは株価や景気など経済・資産形成についての中でのコメントだった。 しかし、自身の身体・病についても、そのように捉えられている様子。 そう遠くない死を前に、冷静に予測と希望を区別する。 簡単に言ってしまってよいの

        • コスパ・タイパは手段であり、目的は自分のやりたい事・ありたい姿

          何年も前からコスパという言葉がもてはやされ、タイパという言葉が効率的に賢く生きる人のライフスタイルの一部と”定義”されたような気がする。 私自身も動画は倍速で見てしまう。 ただ時折、残り何本の動画を見終わりたいと"消費"の感覚になっていることを自覚し、自省する。 よく「手段を目的化してはいけない」と言われる。 しかしながら、意識しなければ、日々目の前の物を消費することを、すぐ目的としてしまう。 本来は、目的がその動画を見る等その行動で「何を得られるか?どういう気持ちになるか?

        私は自らをとりまく状況の産物ではない。自らの意思決定の産物だ。

          僕らの持ってる時間の概念は絶対なのか?

          ピダハン族というブラジルのアマゾン熱帯雨林の先住民がいる。 過去や未来を示す言葉を持たないらしい。 そもそも時間という概念が希薄のようだ。 狩りはしても、獲得した肉を将来のために取っておくことはしない。 昼夜関わらず寝たいときに寝る。 将来役に立つ道具を渡されても捨ててしまう。 勿論、計画性なんて言葉は存在しないのだろう。 非効率だろうが、(日本から見たら)豊かでない生活でも十分なのだろう。 実際、うつ病の症状を持つ人は限りなく0に近いらしい。 過去の概念が無いのだから、後悔

          僕らの持ってる時間の概念は絶対なのか?

          "消費行動"に消費されないように。。

          神奈川に住んでいた時は、よくショッピングをしていた。 電車に乗ってショッピングモールや新宿・池袋・渋谷に行き、まだ見ぬ自分に合った、そして"一瞬"の高揚感を与えてくれる一品を探しに街やモール中を歩いていた。。 洋服でも雑貨でも、自分の琴線に触れる一品に出会えると、今日という休日の一日が充実したもののように感じさせてくれる。 しかし、よく知られているように、物の購入による幸福感は長くは続かない。。 麻薬のように、脳にドーパミンを放出してくれるが、自分を芯から幸せにしてくれるわけ

          "消費行動"に消費されないように。。

          地方での居場所の作り方

          Uターンで地方に帰ってきた。 人口30万人の中核市、いわゆる地方都市である。 車で幹線道路沿いのロードサイドに行けば、なんでもなんでも揃い、不便は特別感じない。 ただ、そこに"文化"は感じられず、コミュニティはない。 一時流行った"ファスト風土"を感じさせる。 駅前の小さな個人の居酒屋や雑貨屋にいけば、上記は感じられるのかもしれないが一歩目のハードルが高い。。 唯一、居場所を感じさせてくれるのがカフェ。 スタバでも個人の小さな店でもいい。 そこにいることを肯定してくれる感覚に

          地方での居場所の作り方