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あなたのかけら


新宿の雑踏の中を1歩1歩確かめるように歩く。あの頃の私はそんな風になにかに怯えていた。あの人の咥えていた煙草の銘柄は今でもはっきりと覚えている。
全部夢だったのかもしれない。そう思いたくはないけど、そう思うことで私は記憶に蓋をしようとする。
大学4年の夏のことだった。あの人と出会った時のことは忘れたくても忘れられない。ゼミの同期達と答えのない問いを絶え間なく投げかけ、将来への漠然とした不安をアルコールで流し込む。いつもの夜だった。
同期達と手を振り別れ信号待ちをしていた時の事だった。ふと交差点の先を見やると、そこにあの人がいた。退屈な日々から連れ出してくれるなら誰でもよかった。そう思って声をかけてしまった。

あなたが手を取り連れて行ってくれた色々な景色は脳裏に焼きついている。
"退屈な世界に色を差すように''
なんて今思えば笑ってしまうけど、あの頃の私はそう思っていた。

日々あなたのかけらを探してしまう。もうどこにもいるはずもないのに、あの人と過ごした日々だけは鮮明に焼き付いて離れない。
「新宿ってさ、なんで新しい宿って書くか知ってる?」
「そんなこと考えたこともなかった」
「江戸時代に甲州街道の新しい宿場街としてつけられたんだってさ」
あなたが教えてくれたこの街の名前のように
あなたは私にとっての新しい宿だった。
赤から青に色は移って、私は前を向いて歩けるようになった。

"あなたに出逢えたこの街の名は東京"

あの人のようにもうどこにもいないバンドの曲が耳に流れて、涙が溢れた。

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