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【年末振り返りnote】大変化の連続と思わぬ形での起死回生から学んだこと

皆様、いかがお過ごしでしょうか?

年末にしかnoteを書かないと定評のあるとっとこランサーです。と言いつつ前回書いたのは

2021年でした。2022年はどこいったんだ…。

2023年は私にとって非常に大きな変化があった年でした。プライベートも働き方も業績も、全て過去経験したことないほどの大転換。

この1年で起こった変化を振り返れるよう、文章として残しておきたいと思い筆を取りました。かなり変化の大きい年だったので、得たものも沢山あります。失敗も悩みもてんこ盛りだったので、誰かの参考になれば嬉しいな。

変化が多すぎて書き始めたら長くなってしまいました。年末の退屈しのぎにでも読んでいただければ幸いです。


家庭と仕事の両立を辞めると決意した2022年

冒頭に載せたnoteに書いていましたが、2021年は法人を設立してから初めての赤字決算でした。2022年は大口案件で損益分岐点ギリギリの月が出てきたものの、その案件が2022年7月に終わってまたもや赤字転落。

会計ソフトの現預金グラフが右肩下がりなのを見て、正直メンタルもズタボロでした。「なんとかしなければならない」と思いはするものの、ことごとく上手くいかない日々。

独立した2016年からそこそこ上手くいってきた自分の自信やスキルへの信頼が、いとも簡単に崩れ去ったような感覚でした。当時、頭の中は「このままでは会社が潰れてしまう」という危機感でいっぱいで、子どもの笑顔を見るのも辛かったです。

家族で生きていくためにも、上手くいかない現状を変えなければならない。しかし何をやっても上手くいかないという焦り。あまりに上手くいかなさすぎて心が疲弊し、臨床心理士さんのカウンセリングを受けることにしました。

そこでアドバイスを受けたのが、

  • 集中して働ける環境を整えること

  • 自分を後回しにせず投資すること

  • 時間までキッチリ働くこと

の3つでした。

そのアドバイスを受けてすぐに最寄りのコワーキングスペースを調べて契約、自宅で働くのを辞めました。またパフォーマンス向上のためには睡眠が重要と思い、20万円のマットレスを購入。そして決めていなかった労働時間も10:00-20:00と決め、早く案件が終わろうともその時間は「仕事と向き合う時間」と決めました。

その時期を経てわかったのが、仕事と家庭のバランスを取るのが自分に合っていなかったということです。知らないうちに、世間でいう「良いパパ」に無理やりなろうとしていました。つまり家庭を意識するあまり、事業を改革するために必要なリソースの投下が圧倒的に足りてなかったのです。

家庭にはそれぞれの役割があり、自分は複数をそつなくこなせるタイプじゃなかった。だからこそ奥さんの理解のもと、仕事にリソースを振ることを決めました。

そこから、やれることは全てやると決断。ランサーズのスキルパッケージを全て一新し、出品数も増やしました。この流れのまま2023年に突入していきます。

「会社を潰す覚悟」で始まった2023年

2023年に入った段階で、状況に変化が無ければ今年中に会社を解散させなければならない状況でした。まさに背水の陣ですね。

上手くいく気配は1ミリもなく、会社の現預金を見て胃が痛くなる日々。

しかしながら2022年と違うのは、「やることやってる充実感」がありました。家庭を奥さんに任せて仕事にリソースを集中させたことで、未来のための種まきを毎日行っていきました。

その1つが、愛車専門の動画制作サービス「Sora Reco」でした。サイトをリニューアルし、撮影事例を増やすために実店舗へアクリルスタンドを置かせてもらう等の営業を行いました。

そのような動きの中で、撮影をお願いしているカメラマンさんと過ごす時間が多くなりました。まさかこの動きが、のちの起死回生に繋がるとは、思ってもみませんでした。

仕事に対するスタンスを大転換。カメラマンさんから学ぶ

Sora Recoの撮影をお願いしているカメラマンさんは、インターネット上で集客することなく8年間フリーランスとして生きてきた方です。その方の仕事ぶりを観察する中で、自分が圧倒的に足りていなかったものに気付かされました。

それは、IT業界以外の中小企業の社長なら、誰もが当たり前にやっていることでした。具体的には休日を設けない電話対応や、日常的に先方へ伺っての営業活動。いずれも、IT業界では怪訝な顔をされやすい「古めかしい日本企業の文化」です。

かくいう私も電話対応は大嫌いでしたし、なるべくリモートで済ませたいという価値観でした。

しかしそんな自分のちっぽけな価値観よりも、事業で上手くいくほうが私にとって大切なはず。だからこそ自分の価値観は全て捨て、常に電話OK、なるべく先方のオフィスへ出向くようにしました。

すると、徐々に状況が一変してきます。

カメラマンさん経由の案件が増加。パートナーシップで相互作用

常に電話OK、嫌な顔は絶対にしない。ご縁に対して常に感謝を忘れない。これが、バージョンアップした私の価値観です。

すると、毎日のようにカメラマンさんから相談の電話がかかってくるようになりました。カメラマンさんは全国を飛び回っている方なので、ご相談の内容も様々。

どうやらいつでも電話が繋がってその場である程度の回答をもらえるのがカメラマンさん的にすごく相談しやすいらしく、「とっとこさんのおかげで仕事の幅が広がってきました」と言ってもらえるように。

なぜそのような関係性になれたのかというと、私とカメラマンさんのスキルは相互に作用するものだったからです。私は広告プランナーとして広告を運用することができますが、クリエイティブは作れません。逆にカメラマンさんはクリエイティブは作れるものの、制作物をどのように使っていいかわからない。

つまりお互いのスキルを組み合わせることで、クリエイティブを作るだけでなく実運用まで持っていくことができる。この点が、多くのクライアントに刺さるようになりました。

結果、ありがたいことにカメラマンさん経由の案件が増加し、私からカメラマンさんに依頼するクリエイティブの撮影頻度も増えていきました。まさに相互作用で道が開けた瞬間でした。

チームで仕事を進めるうちに、自分の役割をググって知る

カメラマンさんとの協業で「誰かと働く」ということに可能性を感じた私。そのタイミングで、WEB制作案件のご相談をいただきました。

過去の自分なら「自分にはできません。申し訳ないです」と断っていたのですが、そういえば、と思いつきました。それは、Sora RecoのWEBサイトリニューアルを行った経験でした。

「もしかしてあのチームなら良いものができるのでは?」と思い、関わってくださった方に相談してみました。すると「ぜひ一緒にやりましょう!」と。

ちゃんとしたWEB制作案件を受注するのは初めてのことだったので、正直右も左もわかりません。しかしながら1つだけ、わかることがあったのです。

それは、広告運用を念頭に置いたWEBサイト設計。広告運用は自社広告で得た知識で、WEBサイト設計はWEBライターとして培った知識です。なんと、もともと持っていた知識を活かせる土台が偶然見つかったのです。

不安ながら覚悟を決めて、WEBサイト制作案件を受注。クライアントの窓口を担当しながら、プロジェクト全体の責任を持つ立場で案件を進めることに。

さらにその案件を進めている途中で別のクライアントからもWEB制作のご相談があり、並行して進めることになりました。

そのあたりで、「気づけば自分はここの立ち位置になっていたけど、これってなんていう仕事なんだろう」と疑問に思い始め、ググってみることに。そこで知った職種が"WEBディレクター"でした。そう、知らないうちに私はWEBディレクターとしてデビューしていたのです。

右も左もわからないWEBディレクターだからこそ、できることは「頼み込む」だけ

WEBディレクターとお仕事したこともなければ、なんの知識もない状態。何もできない自分だと理解しているからこそ、その道のプロに全力で頼るようになりました。

もともとWEBライターとして7年IT業界で生息していたので、他職種の凄腕の方とも偶然知り合いだったのです。

気づけば、

  • デザイナー

  • エンジニア

  • フォトグラファー

  • カメラマン

  • ディレクター(私)

という座組みでチームを組んでお仕事する機会が増えていきました。偶然に偶然が重なって必死でプロジェクトと向き合っているうちに、できることが増えていった感じです。

ちっぽけな私にできることといえば、プロに頭を下げて「あなたが必要なんです。力を貸してください」とお願いすること。そして力を貸してくれるプロたちの価値をクライアントに伝えることです。

価値をクライアントに伝えることで予算を取ってもらえ、プロにも相応の対価でお仕事をお願いできる。そして結果的にすごく良いものができるという流れが現実になっていきました。

失敗の連続。"1人"から"複数"で働ける自分に

右も左もわからない、という言葉は知っていましたが、まさか自分がそんな状況になるとは夢にも思っていませんでした。

いきなりクライアントとの折衝や予算管理、プロジェクトの進行管理をする役割になったので、それはそれはもう失敗の連続でした。

特に大きな失敗だったのが、一緒に働いてくださる方への配慮の無さでした。

無理してでも私のためを思ってリソースを使ってくれている方がいたにも関わらず、そのバックグラウンドに想いを添わせることができていませんでした。結果、その方に悲しい想いをさせてしまった。

トントン拍子で案件を受注できて慢心していた自分が原因でした。1人では何もできないということを、心の底から思い知った大きな失敗でした。

そもそもWEBライターも広告運用も、もともとは人と働くのが苦手だからこそ選んだ仕事。つまり「誰かと働くために必要な能力」が圧倒的に不足していたのです。

この問題は、WEBディレクターをする以上逃げられるものではありません。足りてない、至っていない自分と直面したことで、今までの人生で自分が逃げてきた課題と向き合う覚悟を決めました。

失敗を糧に、一緒に働いてくださっているメンバーの働き方や人生に対する価値観、モチベーションの優先順位などをヒアリングしていきました。どうすれば最大限能力を発揮できる環境を作れるのか。これを考えるのもWEBディレクターの仕事です。

ここはまだまだ未熟なところなので、失敗から逃げずに学んでいこうと思っています。

偶然が偶然に重なって、思わぬ状況から黒字転換。変化の連続で学んだ大切なこと

このnoteを書きながら、自分で「偶然頼りすぎやろ…」とツッコミを入れたくなるほど、神様の計らいによって生まれたご縁や人に助けられた1年でした。

まず、事業の状況が苦しくなった時にSora Recoのことをやっていなければ、カメラマンさんとの関係性はなく今の自分もありません。まさかこんなことになるとは、夢にも思っていませんでした。カメラマンさんには心から感謝しています。

また日頃お仕事をご一緒してくださるメンバーの方やクライアントにも、心から感謝しています。何もできない私を支えていただき、本当にありがとうございます。

そしていきなり仕事にリソースを全振りするという手段を取った私に対し、理解しつつ支えてくれた奥さん。あなたがいなければ今の私はありませんでした。本当にありがとう。

今年の変化を振り返った時、大切だったと思えるポイントが1つあります。それは「想定せず」に「受け入れる」ということ。

変化って、怖いじゃないですか。だからこそ想定して失敗を回避しようとするのが人間の性で、未来をコントロールしようとするわけです。

でも、想定することで「未来の幅が狭くなる」ということもあると知っておくべきかもしれません。私がWEBディレクターという仕事に出会えたのは、未来を全く想定してなかった(できなかった)から。想定していたら、おそらくまだ赤字で困っていたような気がします。

想定するのを辞める。そうすることで、起きる未来の出来事が「想定外」になっていく。大切なのは、想定外を受け入れること。

想定を辞めるということはすなわち、自分の頭で想像できるレベルの"枠"を外すということなのかもしれません。

すごくない自分を受け入れ、誰かの力を借りて"想定外"を目指していく。そんな働き方を今後もしていけたら嬉しいな。

想定外のランサーオブ・ザ・イヤーの受賞

そんなことを考えていた矢先、なんと250万人のランサーズユーザーの中から選出される、ランサーオブ・ザ・イヤー10thという賞を受賞させていただきました。まさに想定外…!!

右から2番目が私です

"すごくない自分"に直面しているさなかの受賞だったので、身が引き締まる想いでした。ランサーズのスタッフさんも含め、関わってくださる全ての皆様に感謝いたします。本当にありがとうございます。

かなり長くなってきたので、今年はこのあたりで。このような長い記事をお読みいただき、ありがとうございました。良いお年をお過ごしください。

とっとこランサー


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