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K嶋くんごめんね

 沈黙が怖い人間である。私のことだ。沈黙が怖いので、日々話すことを用意して、とにかく私の発言で沈黙を埋めなくてはならない、というのが一つ。これだけならこの件はとても簡単に解決する。とにかく喋っておけばいいのだから。

 しかしこの件はそんなに単純ではない。私が怖いのは何も沈黙だけではないのだ。沈黙を埋めようとした結果発生するかもしれない現象、そう、私はスベるのも怖い。

(ここでいうスベり、とはこちらが予想した反応が得られないことを差し、ウケたかどうかではないものとする。例えば、怖い話をしたつもりが、全然伝わっていなかったらそれは「スベり」に含まれるということだ。)

 沈黙が怖い→沢山喋る→一つ一つの話の質が落ちる→スベる→怖い

 この至って自然な流れが私を慄かせる。断っておきたいのは、何も、私と話す人々が私に向かって「お前スベってんぞ」と言ってくるわけではない。ご存じの通り芸人でもなければ面白エピソードを期待されているわけでは一切ない私を「スベっている」と判断する他者はいない。私がスベったかを判断するのは他でもない私自身である。私はまたここで自意識の話をしようとしているのだ。私が私に言う。「お前今スベってんぞ」と耳元で。

 なので私は、私自身のスベリ判定から逃れようとして、今日もせっせとスマホのメモに話すことを書き溜めるのである。

 

 そうは言っても、日々スベってはいる。同じ人と1時間話せば2回、多くて3回はスベる。これは仕方のないことで、確実にスベりを回避できる(面白いということではない)話が大体30分で尽きてしまうためだ。1年会っていなかった人ならもう少し凌げるし、頻繁に会う人なら10分も耐えられずにスベる。これはもう仕方がない。ただでさえ人間が日々遭遇するおもしろ出来事には限りがあるのに、私のように内向的で自宅にいがちな人間ならなおさらおもしろには出会わない。

 しかし、それとスベりに耐えられるかどうかはまた別の話だ。私はたとえスベりが仕方のないことだと分かっていても耐えられない。1時間が経過した友人との会合、少しスベりが続いている空気を打破したいと考える。そこで登場するのがK嶋という名前なのだ。

 K嶋とは、私の幼なじみで中学の時クラスで一番面白かった男である。生活態度、見た目と内面、家族などあらゆる点で突っ込まずにはいられない点を持っている上に、本人の言語能力も高いスーパーおもしろくんがK嶋だ。私はこの男を非常に高く評価しており、それゆえに方々で話しているため、K嶋に実際に会ったかどうかに関わらず私の友人の中でK嶋の認知度は異常に高い。これをK嶋は知らない。何かの間違いで彼らが邂逅することになったら、と思うと非常に面倒なので絶対にそんな状況は必ず阻止したいと考えている。

 話を戻そう。ぺこぱのあいつみたいに本筋に戻ってしまった。

 私はこのおもしろの代名詞ことK嶋の名を借りて、スベりのリスクを緩和している、という訳なのだ。どういう事か。一つ、無かった話を使って説明しよう。

 「料理のさしすせそ」という概念がある。味付けの基本となる調味料をさしすせそで覚える、というものだ。内容は以下のようなものだ。一部をおさらいしてみよう。

さ・・・砂糖

し・・・塩

す・・・酢

 ここまではかなりいい。かなりうまいことできてる。問題はここからだ。

せ・・・醤油(せうゆ)

「???!!!せ、せうゆ?」と思った。これを習ったのは中学生だったか。現役の中学生たちも思っているに違いないが……

 ……まあまあ、まあいいか。何しろ私には知識があり、分別もある。「しょう」を「せう」と呼ぶころから醤油は存在したのだろう。何しろ醤油の歴史は長い。私が小学生の時に社会科見学で貰ったしょうゆ工場の下敷きによれば、醤油は鎌倉時代からある。せうゆ、と呼ぶのもまあ、いいだろう。

 そう落ち着けたところで、

そ・・・味噌

「に、二文字目?!!???!!」

 これは絶対になる。さ、し、す、まであってるからもういいか、となってしまったのか。五分の二がこのクオリティなら変えるべきだったろ、と数多くの人が思い、そして諦めてきたのだろうか。そんなものを変える力など私にはない。こうして負の歴史は積み重なっていく。

 「料理のさしすせそ」といい「ドレミのうた」といい、「そ」は何かこう、全体のしわ寄せを食らう運命にあるのかもしれない。

 

 「料理のさしすせそ」の不備に不満を抱きつつも受け入れていた私が、内心で考えていたのは「料理のさしすせそ(全部醤油)」であった。どこかで話したいな、と思いつつしょうもなさ過ぎて話す場所がない。それを私は先日、「中学時代にK嶋が言っていた」という体で友人に話したのだった。

「中学の時にさ、料理のさしすせそってあったじゃん。あの後半のクオリティ低いやつ。それを習うときにさ、K嶋がね

さ・・・さしみ醤油

し・・・醤油

す・・・酢醤油

せ・・・せうゆ

そ・・・ソイソース

って答えててさ~」

 といった具合である。勿論、K嶋はこんなこと言っていない。「中学生」の「K嶋が」の発言ということで、スベりの責任をK嶋に擦り付けるというものである。

 スベれば半分はK嶋のせい、スベらなければ私の打率が上がるという寸法だ。つまりK嶋を利用して嘘の話をしているという訳だ。なんて浅ましいのだろうか。

 もう一度考えてみる。果たして私は嘘をついて、K嶋にスベりを押し付けてまでスベりたくないか?答えは出ている。

 スベりたく、ない!!!

 胸を張って言える。私はK嶋の名誉よりスベらないことが大事だ。

 そういう事なので、K嶋くんには日々感謝を忘れずに励んでいこう。改めてそう誓った私であった。


 


 

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