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夏の花壇

 かあさんは花が好きだったから、港の家に花壇を作った。
 坂上の家で、花壇は国道からも見え。フラックスだのコスモスだのを植えて、見事に咲かせていた(村の庭には低花木や宿根草を植えていた、いつか帰るつもりだったのだろう)。

 かあさんは、珍しい花木を見るのが好きだった。植木屋がトラックで村の広場に来ると、忙しい時間をやりくりして見に行った。友達も来るから、おしゃべりに興じてニコニコして帰ってくる。 

 植木満載のトラックが来ると、国道沿いの花壇がすこおし変った。
 たいてい、すでに、グラジオラスやカンナの大株、ダリアが植わさっている。これらは球根で、家の人が丹精するから何年も持つ。だから、そんなに変わることはないのだった。
 道路際の畑の端にはたいてい背の高いフラックスが咲いていた。
 夏になると黄色いコスモスが咲いた。北海道では本州と花の時期が違う。
 放棄地の畑、とくに道路際はキクイモがびっしり植わさっていた、これは雑草と化した、と言っていい。だけど他所眼にはとてもきれいだった。事情が分かってると労しいけどね。

 そうそう、道路際に側溝はない。今(2000年代)はちゃんとあるけど、当時はアスファルトの道路わきに土が盛られ(草を生やしておく)て、その下は深い溝(小川みたいの)になっていて、両岸には草が生えていた。
 その後ろは私有地で、境界は簡単な塀だったか、そうだ、馬を飼っている場所で道路より低い場所が広がっていて、あそこにはちゃんとした塀があった。大雨が降ると池になった。いつもは馬がいて。池になったらどうしていたのか。

 そのほかの後背地は。ただ、丘に近い場所、もう一段高くなっているだけのこともある。斜面は土が崩れないように草が生えていた。・・・この草刈りも一仕事だ。
 そうした高い土地はたいてい誰かの畑だった。崖を崩して平らにしたところもある。水は崖から湧くので困らない、たしか、困らなかったと思う。昔のことで不確かだ。家の近くなら野菜を作った。ちょっと遠ければ豆やジャガイモ。

 かあさんも近くに畑を借りて作物を作っていた。本当は庭に菜園があるとべんりなんだけど、窓下の一角はいつも花を咲かせていた。仏壇に上げる、という実利もあるが、コスモスだの、ひまわりだの、子どもが喜びそうな花も植えて楽しんでいた節がある。
 庭で作るひまわりは花粉が飛んでとても仏壇には飾れない。ユリもバラも仏壇には飾らない。だけど、一角にちびっと咲かせていた記憶がある。
 コスモスは背が高く、欲しい人には誰にでもやっていた。それでも咲き乱れて、とうとうひもで縛った。
 そうそう、カーネーション、背の低い株があったな。庭の定番。どの家にもある、ということは、母の日にもらったのを大事に育ててるってこと。あの頃は港の町にも子どもがいっぱいいた。

 北海道では6月に花が一斉に咲く。そして、いつまでも咲いていた気がする。
 そうそう、紫陽花。とっちゃんは都会に来て、6月の花と聞いて驚いた。
 北海道では今頃咲きはじめて、11月までひっきりなしに咲いている。そして残った花はドライフラワーになる。

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