「左」か「右」かではなく「エリート」対「非エリート」???

コロナ禍のことを書きたいのではないが今朝の読売新聞の解説のタイトルと内容を読み???となったので、今日はそれをとりあげたいとおもう。(上の記事だが読売新聞の記事は会員でないとタイトルしかよめない)
日本のマスコミでもチラホラと紹介されている欧米の「反コロナ対策」運動。日本でやるとなんだか「テロ」だみたいなことを言われたようにチラッときいた。日本ぽい表現だと思ったが。。。

新聞記事の内容はドイツの新型コロナ対策反対運動、について書かれている。デモ行進に参加しているのが、「右」の人たちが多いが、「左」もいるし、そして、「ワクチン反対者」や特定の団体に属さない【普通の市民】もいるという。この【普通の市民】という言い方はいったいなんなんだろうか。そして、こう語られる

近年の欧州政治は、所得の再分配をめぐる公平か競争かの「左右」ではなく、既得権益層である「エリート」対「反エリート」の「上下」が、主な対立軸となったと言われる。

ほう。そういう意味で「左」「右」を使うのか。。。
ここでは、そのことの是非や「近年の欧州政治は、」の下りをどうか、と問うつもりはない。このタイトルの作り方やレトリックの使い方がなんとも座り心地が悪い。
 少し前の記事になるがこのフランスの反コロナ対策運動を取りあげている記事を紹介した。(こちらは無料で全文が読める)。こちらは「政府」への不満として取りあげられている。もともとあった政府の不満をコロナ対策がさらに助長させていているという。


 エリート、非エリート/左、右

政治が語られるときによく使われるレトリックだが、実は、一番慎重に使わないといけないことばだ。取りようによって、使い方によって、真意は伝わらない。
確かに感染症は一般的に貧富の差によってそのリスクは全く変わる。しかし、それはエリート、非エリートと同義ではない。それほど、エリートということばは難しい。
まして、それを「特定の団体に属さない【普通の市民】」を非エリートであるように想起させるような文章はどうかと思う。だいたい普通の市民ってだれ?
 残念ながら、こういう文章に少なからず出会う。SNSであれば、それは個人の意見とスルーすることもできる(そうしないとやっていけない)が、新聞などはそうはいかない。穿った見方をすれば、何を構築したいのか?と勘ぐってしまう。

 日本は「反」「非」に寛容ではない社会だ。そして【普通】に安心する。

なので、そんなことばがちりばめられた文章はどんな権威がある媒体や作者でも、その書き手の真意を疑いたい。鵜呑みにしたくないと切に願う。私たちの世界はそんなに単純ではないと信じて。

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