「人間は社会的動物である」って誰が言ったの?

 SNSの時代になったからではけっしてなくて、リテラシーの問題はもうずいぶん前から言われるようになっていますが、ちっとも日本では拡がりません。なんとなく、あたりまえに使われるようになっている「言葉」は、実際はまちがった使われ方をしていることも少なくありません。仮に、明治維新を日本の近代化の始まりとしたときに、いまで約150年。江戸幕府の時代は、鎖国をして、外国からの情報が制限されていましたから、改めて、近代化が進み、西洋の文化や言語を日本に導入しようとしたときに、その言葉や概念をどのようにあてはめたのか、調べれば調べるほどに、その大変さがわかります。また、戦後、文語体が口語体になり、そのことも影響があるようにも思えます。
 昨日が相模原事件の発生日、そしてその前に大きな事件が起こり、また「優生思想」のことばが踊っていますが、これもまた大いなる曲解言葉。そんなことを見ながら、ふと、「人間は社会的動物である」って誰が言ったんだろう?と。有名なことばですよね。このことば。
 調べてみると、なんとアリストテレスの言った言葉が元になっているらしい。あれ?らしい。。。
 わりと簡単にこのことばについてみると、そもそもの言葉からの解釈の曲解が出てくる。そんなことばがたくさんある。
 と、スラッと流せないんですよね。その実。
 だれがこんな言い換えをしたのか、その歴史はなぜか、なぜ、そんなことになったのか。特にこのことばなどとってもとっても昔からあることばなわけで、そう言われてきたことには何か、事由があるわけです。
もともとのアリストテレスのことばの意味にも、人間が人間たるために、共同体の中にきちんと役割を果たしなさい、それによって人間たり得るみたいな思想があったわけで。

ってなると、こんな風になって説明されてしまう。そりゃアリストテレスの生きていた時代背景をきちんと理解をして、いまの時代までの歴史を考えて、とやればいいのかも、きちんと理解できるかもしれないけれど、こういう慣用句的なことばは、その意味が理解されないままに拡がり、そして、二次的、三次的な曲解を生んでいる。
まさに、「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「どのようにして」「どうした」が背景理解されていないと差別を生む。優生思想しかり。
 そして、人間は遺伝子情報として社会(集団)を構成しようとしているという説は現在ではほぼ完全に否定されているそうなので、「人間は社会的な生き物である」の意味はそこにはないです。では、そもそものこの言葉の意味は何か?考えてみましょうよ。

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