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みえるものは、みえないものにさわっている。

染色家の志村ふくみさんの本の中で、ドイツの詩人ノヴァーリスの引用があった。

“すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。
きこえるものは、きこえないものにさわっている。
感じられるものは感じられないものにさわっている。
おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。”

大切なものは、目にみえないところにいつもある。

最近だと例えば、植物をみることを通して、自分の中にある曖昧な矛盾と見つめ合っているような気分になってくることがある。

もっと自分勝手に生きていたいと願っているクセに、他人や社会の期待につい応えてしまい、すぐに苦しくなってしまったり。

一人になりたいなあって思っているクセに、ふとしたときに突然寂しくなったり。

この前なんて初対面の人にすごく緊張して、興味のない話題にも関わらず「それ、僕もすごく興味あるんですよね〜」なんてキラキラした目をして(いるつもりで)適当なその場合わせでしかない相槌を打ってしまった。

この一件は猛烈に後悔して、しばらくのあいだ思い出しては小さな声でうめいていた。


これだけ長く付き合ってきたはずの自分自身の内部にさえ、見えていないこと、聴こえていないこと、感じられていないことの、いわば大宇宙みたいなものが広がっていた。

そのことに気付くたび、びっくりしちゃう。

生まれてきたときからの、他の誰よりも長い付き合いなはずなんだけどなあ。

まだまだ分からないことだらけなんだな君は、とマヌケな顔をした自身に呆れてしまう。

でも呆れると同時に、掴みきれないようなディテールをもっと発見していく行為を通して、僕はいつも感動している。

自分自身のことだけじゃなく、大切な誰かのことや、植物のことだってそう。

冷たいように見えていた人の心の底が、実は暖かい優しさと愛に溢れていたんだということにはたと気付いたり。

桜の美しい桃色が、花びらではなく樹木から抽出されることに驚いたり。

今までみえなかった何かが、みえた気がした。

そんな瞬間が、とても嬉しい。

もっともっと、命の美しさを感じていたい。

かわいいねって感動しながら、また明日も生きていたいな。


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