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頑張ることを辞めてみる、穏やかになるほど悲しくもなれる

 三週間の岡山県北部、西粟倉村での滞在を終えた。木工の仕事をするためだった。今は実家のある倉敷の方に戻ってきていて、来週には東京に戻る予定だ。

 毎日ひらすらに木と向き合った。少しは仲良くなれただろうか。素材と向き合ってつくるということは、仲良くなれたと思ったらまだ知らないことがあった、というようなことの連続だ。だからつくることは楽しい。素材って楽しい。素材のことをもっと知るために、素材と会話をさせてもらうために、ぼくはつくることを続けているのかもしれない。その素材が生きていることを知って、生きるために培ってきた機能を理解し、それを利用させてもらうための道具をつくる。例えば、枝葉を高いところにつけて光合成をするために幹を高く伸ばす。丈夫な木の道具や家具は、枝葉を支えるためにつくってきた幹という強い体を使わせてもらっている。漆は木がかさぶたをつくる力を利用させてもらっている。食べることも、命が生きるために蓄えてきた栄養を頂くということだ。つくることは、自分のものでない命を、自分が生きる糧にさせてもらう行為のことなのかもしれない。

 沢山のことを知り、発見できたのは、西粟倉での滞在中ずっと穏やかな気持でいられたからだと感じている。穏やかになれるほどに、沢山のことを発見できる。穏やかになるということは、静かになっていくということであり、それは感覚が研ぎ澄まされていくということでもある。内側が静かになっていくほどに、小さなことも見逃さなくなる。木の節とそうでないところの硬さの違い、昨日との水分含有量の違い、刃物の研ぎ具合、そういった小さな差異に気付けるようになる。

 穏やかになれるほどにもっと新しい発見ができるし、もっと新しいものをどんどんとつくれてしまうし、どんどんと文章も書けてしまうし、もっと才能が発揮されてしまうという感じがした。それはぼくにとって、すごく大切な発見だった。そうか、ぼくは穏やかになっているだけでよかったんだ、と思った。これでよかったはずなのに、これだけのことをずっとずっと知らなかった。激情も、客観的な分析も、社会的な比較も、コンプレックスから生まれる逆境に立ち向かうエネルギーも。頑張るためにはある側面では必要なんだと信じていたぼくの原動力たちが、本当はなんにもいらなかった。

 頑張ることはいいことだと、努力することはいいことだと、いつからかずっと思い込んでいたような気がする。「頑張る」という言葉の裏側には「もちろん楽ってわけではないよ。でもやる意味があるからやっているんだ。」というようなことを感じる。「私は頑張っている」という言葉をわざわざ発することが必要だったその心を想像してみたら、その心はちょっと苦しそうだなと感じる。それを見てみんな「えらいなぁ」と言う。「えらい」という言葉には「楽じゃないことを、我慢してやるなんてすごい。」というようなことを感じる。何かを捨てて、我慢して取り組むことがえらい。そういうことは当たり前なんだと、いつからかずっと思っていた。こんなこと、いつ教えられたんだっけ。覚えていないくらい昔のことなのだけが分かる。それが少し変わった。今は、頑張らないほどに、ぼくは成長しているという感覚がどんどんと強くなってきている。穏やかであれるほどに沢山のことを発見して、沢山つくることができるという感じがする。

 頑張ることを辞めてみる。努力することを辞めてみる。それでも、抱えている痛みはずっと消えないんだろうと思う。だから心配しなくても大丈夫。むしろ、穏やかになっていくほどに、悲しみや怒りは深く、切実で大切なものになってくれるような気がする。穏やかになるということは、悲しさや怒りが内側から湧いてきたときに、それと静かに向かい合っているということ。その悲しさが何で自分の中で起こっているのか、自分自身にきいてみることができるということ。

 悲しさや怒りを原動力にして行動するのではなく、ただ向かい合って、きいてあげる。これがなかなか難しい。人が悲しくなったり、怒る感情が湧き上がってきたときには、それを解決するために何か行動してしまうから。悲しいことは苦しい。怒ることも苦しい。だからすぐに自分を安心させてあげたくなる。何か行動してしまいたくなるところで何もしない。静かにしてみる。きいてみる。それは、自分の悲しみと仲良くなるということ。抱えてきた痛みと一緒に生きていくことを受け入れるということ。そういうことができると、どんどんと自分の心の奥底にずっとあった、祈りのようなものにたどり着いていくんじゃないかと思う。そして個人的な祈りは、才能に紐付いているような気がする。静かになるほどに、才能そのものに近づいていくことができる。生きているということが、そのまま才能が発揮されているという状態になってくれる。

 頑張ることを、辞めてみよう。穏やかに生きてみよう。そうすればきっと、ぼくはもっとつくれるし、もっと楽しくなれてしまう。

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