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澄沙とみのり


 図書館で気になる子を見つけた。新聞雑誌のフロアの二対二で向かい合わせになって四人が座れるテーブルで、斜向かいに座っていた。文芸誌を読んでて、いきなり顔を上げて空をしばらく睨んで、また本に戻っていった。そんなことを繰り返していて、こっちがじっと顔を見てても全然気がつかなかった。眉間にしわが寄ってて眼鏡の奥の目は見開かれてるけど焦点が合ってない。何かを真剣に考えてるように見えるけど実際は別にどうでもいいことだったりしそうで、いいなと思った。近くでまじまじと見たのは今が初めてだけれど、何度かここで見たことがある子だった。藤北の制服着てるし多分同い年ぐらいだ。うちの高校と一緒なら、今日でテストが終わりで早く帰れてここへ来たという感じだろう。読み終わった雑誌を棚に返して、荷物はそのままで上の階に借りる本を探しにいく。重いのやだなと思ったから文庫の棚見て、ヘレンケラーの自伝と岡潔があったからそれにした。下に戻るとまだ彼女は居たから、急いでよかったと思う。続きを読んでいたから、上から持ってきた本を開いた。しばらくして棚に向かったので済んだかと思ったら、帰ってきた手に詩手帖持ってて、急ぐ必要全然なかったからなんだと思った。まだ二時で今外出たら暑いし四時くらいまでならいいかなと思った。
 実際はそんなにかからなくて、三時くらいに彼女が荷物もって立ったから私もすぐ後を追った。彼女は借りる本がないらしくカウンターに向かわず出て行ってしまったので、あわてて手続きした。駅までに追い付けるか、ぎりぎりかもと結構走った。駅までの歩道橋の階段下るとこで追い付いて「ねえ」と声をかけた。久しぶりに走ったから息が上がった。彼女はそのまま階段下っていくから、聞こえてなかったのか無視されたのかわからなくて「ちょっと、そこの藤北の」と叫んだ。数段降りたところで止まって振り返り、ものすっごい眉根寄せて「はあ」と「ああ」の間のやる気のない返事が返ってきた。感情そのままの表情をしている目の前の子は魅力的で、明らかに警戒されてるのに嬉しくなって、話しかける。
「あなた今から帰るの」
「帰りますけど」
「時間あるならつきあって」
「どちらさまですか」
「さっき図書館に居たでしょ、向かいに座ってたんだけど」
目線を私の目から頭の上らへんに移し目を細め「いたかも」と言った。
「本読んでると周り見えないの?」
「考え事してたから」「……で何かご用ですか?」
「帰り地下鉄?」
「…そうですけど」
「千早までいって地下鉄乗ればJR代浮くじゃん、だから一緒に歩いてかない?」図書館の最寄りはJRだけで地下鉄の乗換駅は一駅だけだ。
「なぜ」
「あなたが気になったから、時々図書館で見かけてたの 友達にならない?」
「……」
目を足下に落としたままどうするのがよいか考えている彼女は、やっぱり面白そうだし可愛いし声かけてよかったと思う。顔を上げたと思ったら目をじっと見つめられる。値踏みされてるな、と感じつつ薄く笑った。
「すこしだけなら」と彼女は答える。
「じゃあ、行こう 千早のドトールでお茶しよ」
そうだ、と彼女に向き直って挨拶した。
「私はすみさ、舟木澄沙 よろしくね」
握手しようと手を差し出した。
「多屋みのり」と彼女は言って、私の人差し指だけ握った。彼女は数段下に居たから、階段上り終えるまでそうしていた。
でも結局階段は降りなきゃ行けないから、みのりは「なんで上ったんだろ」とつぶやいた。それに対してちょっと笑ったら、つられて笑ってくれたから嬉しかった。
 私はみのりが家まで地下鉄で帰る前提で話しかけてしまったけれど、彼女が地下鉄に乗り換えず、そのままJRで帰る可能性があることを全く考えていなかったことに後から気がついた。みのりが「私JRで帰るので」と言ってそのまま改札を抜けて電車に乗ってしまって、仲良くなるきっかけが掴めなかったかもしれない。でも、それは別に可能性で、実際は地下鉄で帰る人であったのだからもう関係ない。そして、そのJRか地下鉄かの可能性の話は、私とみのりが友達になったこととは関係がなくて、どのような過程であっても、私とみのりはこの先友達になると決まっていたから、つまり私たちは友達になるから友達になったのだ。
 駅まではすこし寄り道をして行った。みのりはやっぱり同い年で高校2年生だった。
「藤北から県図書までって遠くない?」
「文芸誌ここ来ないとないやつあるから」
「毎月読んでるの」
「読むよ」
みのり眼鏡は度が強そうで、横から見るとレンズが段段に見えた。ブレザーの制服は背中の襟がないから涼しそうでいいなと思う。テストが終わって、もうすぐ夏休みだ。金髪にしたいな、と考えが浮かんだ。日はまだ高く日差しは緩まず暑い。
「鈴ノ宮の方が遠い」
「え」
話が続いていたことと、みのりが私に対して興味を示してくれていることに驚いた。
「遠いけど、同じ学校でここまでくる子ほとんどいないし」
「そうだね」そこがいい、とでも言うように小さく頷く。
「学校嫌い?」
「別に」「でも早く大学行きたい」
「何が勉強したいの」
「物理」
話しながら古本屋が見えたのでみのりを引っ張って立ち寄る。外にワゴンが出ていて50円均一だった。谷川訳、和田誠挿絵のマザーグースがあったからそれを買う。店内は見るときりがないからレジに持っていって会計する。
「詩歌は迷ったら買うことにしてんの」
「言い訳っぽい」
みのりはぼんやりワゴンを見つめて、草の葉を手に取って少しめくった。そして「ちょっとぼろぼろすぎる」と言って戻した。おじさんが書店名が入った紙のブックカバーをかけて輪ゴムで止めてくれた。テストだからすかすかの鞄に入れる。
「かばん学校指定?」
「そうだよ」
首筋がじりじり日に焼けてるのが分かる。おそらく4時近くになって、光が夕方の感じに変わってきた。夏のこの時間帯はいつもオーブントースターみたいと思う。みのりは髪が長いのに降ろしたままだから暑そうだった。
「髪結ばないの」
「うまくできないからくしゃくしゃになる」「暑い」
「暑いね」
 道沿いの小学校の隣りに公園があって、小学生が遊んでいる。ランドセルがないから一旦家に帰ったのだろうか。木が沢山あるから蝉の声がわんと大きくなる。男の子同士が言い合いしていてきんきんの声が響いてくる。早口で舌足らずでよく聞き取れない。その隣りを私たちが歩いている。夏の光景、と思った。
「鈴ノ宮のセーラー羨ましい」
私の学校の夏服は水色のセーラーで可愛い制服として有名で私自身も気に入っていた。スカーフが中等部ではくすんだ水色なのが高校に上がってうすいグレーになったのが嬉しかった。
「セーラー肩のとこが熱いよ」
「中学からずっとブレザーだから、着たことない」
みのりはそう言いながら私の背中の襟の下に手を入れてほんとだ、つぶやいた。みのりがセーラー襟をつまんでひらひらさせたから風が通って少し涼しかった。
 私たちはだらだら歩く。日陰を選びながら歩いて、ぎこちないけどずっと友達としたかったような会話をしながら歩く。和菓子屋があったので覗くとすあまがあったので買う。みのりは後ろからショーケースを見てるだけで何も買わなかった。店を出た後、紙袋に入れてもらったのをすぐ出して食べようとすると「すあまって餅?」と聞かれた。食べたことがないというので一口あげる。「求肥より餅」というのでその通りだと思った。
 千早に着いたのは4時半くらいで「結構経ってる」とつぶやくと「たまにはいい」と言って笑った。涼みたいし喉かわいたしでドトールに向かった。はちみつピーチティーが飲みたかったけどあれはクリエだから、普通のアイスティーにした。みのりはアイスコーヒーだった。冷房が効いていて後から寒くなるだろうけど今心地よいからいいかと思う。暑い中歩いて二人とも眠い。ちょっと目を瞑るとやっぱり眠ってしまって、頭を上げるとみのりが本を読んでいた。半分寝ている目をぱちぱちさせながらじっと見ていたけれど、やっぱり私が見えてなくてこのテーブルには彼女しかいないみたいになっていた。しばらくすると頭が冴えてきたから、さっき買ったマザーグースを読む。すると今度は逆にみのりが本を閉じて寝ていた。そんな感じで外が暗くなるまでそこにいた。
 帰りの地下鉄は私とみのりは反対方向で、改札を通ったところで別れた。「またね」と手を振ると「またね」と手を振り返してくれた。また図書館で会える。


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