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未咲と千咲

 郵便の宛名など相手の名前しか見ないし、自分の名前が一文字違っていたとしても相手が間違えたんだなとしか感じない。園部って誰だよとは思ったけれど、自分が忘れているだけかもしれない。大抵の人は、住所と名字が合っていて下の名前が一文字違うだけなら、この荷物は自分宛だって絶対思う。前に同じ部屋に住んでいた住人の荷物が私に届くなんて物語か何かだし、それから素敵な出会いが、なんてまるっきり少女漫画。でも私の目の前に間違って届けられてしまった蟹は確かに存在する。スチロールの箱の蓋にビニールで包まれガムテでべたべたに貼付けられていた手紙は、はっきりと私ではない誰かに宛てたものだった。「未咲」なんて変な名前だと思った。どういう意図で名付けたんだろうか、名前など自分で決められるものではないから仕方ないけれど。

 それで、蟹は放って置いても腐るだけだしどうしたものかと思案に暮れ、とりあえず伝票の依頼主「園部裕香」なる人物に電話をしてみる。私なら知らない番号からの、ましてや携帯電話からの着信など絶対に取らない。おかけになった電話は現在使われておりません。使われていない電話番号を伝票に書くか?普通。でも何となく読んでしまった手紙といい察しが付く。どうしようかと思いつつもう一つの番号が目に入る。私と一文字違いの名前、早く片を付けたくてこちらにもかけてみる。本当はちょっと興味があった。こんなに私と似た名前の人物と話してみたい気持ちが沸いたのだ。上原千咲と上原未咲。名前など只の記号に過ぎないが、きっかけには十分だ。四コール、はっきりした声音。よく聞き取れる声で「はい、上原です」と彼女は名乗った。一瞬中学生かと思ったくらい曇りのない声だった。私も最初に名乗らなければと咄嗟に思った。

「あの、私、上原千咲というものなんですが」

「はあ」

「今日私の家に、園部さんって人から荷物が届いて。私、自分宛で、名前が間違ってると思って勝手に開けちゃったんですけど」

「それ蟹でしょ」私が離している途中に間髪入れず彼女は口を挟む。

「あ、そうです」

「アパート、松川の画材屋の近くのとこでしょ。三◯二号室、前住んでたとこ。転送期間過ぎちゃったし、間違って届いちゃったのかな。てかあいつ、定期便で頼んでたのかな。手紙付いてた?」

いきなり友達みたいな喋り方。あまりに勝手に喋ってくるから、いきなり話ふられて自分が答える番かと戸惑う。

「付いてましたけど、すみません…… 開けちゃいました」

「いいよ、蟹はあげるけど手紙は頂戴ね。住所言うからそこに送って。切手代は蟹代ってことで」

怒られなくてよかったと思った。人の私信を勝手に読んだ事を咎められるかと思っていた。多分あの手紙を書いた園部って人は、もう居ない人なんじゃないかなとぼんやり思った。手紙は箱に張り付いていたからガムテープだらけで、でもあんまり綺麗にするのも勝手に私がいじったみたいで嫌だったし、結局そのべたべたの封筒ごと一回り大きい封筒に入れて、切手代イコール蟹代なんて申し訳なかったから自分の好きなお菓子と一緒に送った。蟹は足の冷凍で、適当に茹でて食べた。丸々一杯でなくて良かった。甲羅の中とか美味しいとこ詰まってるのは分かってるけど、そんなのどうやって食べたらいいか分からない。死人からきた蟹の足、そんな事を思いながら食べた。まともな蟹なんて久しぶりに食べたから、美味しかった。

 未咲とは、もうそれで終わりだと思っていた。自分にも不思議なこと、というかこんな偶然が起こるのだな思っただけ。変わらない日常に起こった、突発的なイベントの様なもの。彼女の名前も忘れかけていたから、ポストにぎちぎちに詰め込まれていたレターパックの表書きは二つ同じ名前が並んでいて、何かの間違いかと思った。そっくりな、一文字違いの名前。そういえばそんなことあったなと。中身は彼女の住んでいるところの銘菓と思しき菓子だったが、小さな饅頭がそのまま入っていたので潰れていないものは一つもなかった。申し訳ないが、この子は少し馬鹿なのではと思った。レターパックの中にはその饅頭だけしか入っていなかった。でも確かに美味しかった。でも私の送ったものに対抗して、こっちにもこんな美味しいものがあるんだとアピールされているように感じた。昔同じアパートに住んでいたならば、このあたりの食べ物が恋しくなるはずだろうと、今度は砂糖天ぷらを作るミックス粉を詰めて送った。箱で送ると高く付くから、全国一律レターパックで。向こうが無言なら私も無言で送り返す。しばらくするとまた未咲から荷物が届いた。この間より重たくて、今度はちゃんと箱に入っているのが封筒の上からでも分かる。開けてみるとカレーと麻婆丼と親子丼とシチューのレトルトが綺麗に大きさぴったりに詰め込まれていて、思わず笑ってしまった。ぐだぐだに疲れて帰って寝るだけの生活で、食べるものの事まで頭が回らない。スーパー行ってもコンビニ行っても自分の食べたい物が何か分からない。彼女にそれを見透かされているようで少し恥ずかしかった。でも四食分何も考えなくていい食事が出来て、でもそれがいい事なのか悪い事なのか分からなかった。なんとなく気になって電話してみたりする。また四コールで電話が通じる。

「届いた?」

第一声で名乗りもなくそれ。私からかかって来たと分かるのは、番号を登録してあるからだろうか。

「ちょっと雑じゃない?なんか母親の救援物資みたいな」

「言い得て妙」そう呟いてけらけらと笑う。なんか昔から知ってる人みたいで、つられて砕けた口調になる。幾つなのかも何をしている人なのかも知らないが、住んでいるところと名前と電話番号だけ知っている。

「名前読み方、みさきでいいの」

「そっちはちさき?」

質問で返されると言う事は肯定だろう。

「そう、今度は何がいい?」

「別に、お返しが欲しくて送ったわけじゃないし、見返り求めてたらあんなの送らないでしょ。千咲が送りたいものあれば送ればいいし電話したけりゃ電話すればいいよ」

直感的に、この適当さ私と似ている。あと遅れて今、名前呼び捨てにされたなと思う。こないだの饅頭が潰れていた文句を言うと、味は変わんないと言い返された。そんな言い合いがちょっと姉妹みたい、なんて思いつつ、電話を切ってアドレス帳に番号を登録する。上原千咲、上原未咲と上下に並んだ。遠く離れた向こうの携帯でも、同じように名前が並んでいる事を想像した。姉妹なんて居ないに、名前だけ見れば双子みたい。

 別に送るものは食べ物でなくたっていいと気が付く。姿を見た事がなく趣味も分からないが、書店で見かけたクリスマスカードが気に入って送る。札幌の時計台に小さなサンタが一杯たむろしている絵柄で、時計台以外の全国の名所バージョンもあったけれど札幌のものが一番可愛かったからそれにした。今まで通り、何も書かずに送ってもよかったけれど一行だけ付け加える。

〔沖縄も京都も可愛くなかった、一番可愛いのこれ〕

そう、折角なら私たちの住む土地のものにしたかった。でも本当に可愛くなかったのだ。雪降る土地の方がやっぱりサンタは似合うのだろうか。年が明けて、三が日をとっくに過ぎて七草粥も終わった八日、思い出したように年賀状が届く。自筆であろう猫の絵に一行だけコメントが付いていた。

〔今年は年女〕

干支に猫なんて無いし、この言葉も嘘か本当か分からないなと思う。

 バレンタインにチョコレートを贈った。こちらから発送した翌日に未咲から荷物が届いた。飛行機かトラックで私たちの郵便物がすれ違った事を想像した。まあ、実際そんな事は起こりえないだろうが。ひな祭りにあられが届いた。相変わらずレターパックで、半分くらい潰れてぼろぼろになっていた。砂糖がけの内側は白い泡がそのまま固まったような空気ばかりで、これを作った場所の空気が閉じ込められているかもしれないなと思った。

 もう暑いくらいの日もある、あちこちで卒業式をしているのを見かけて街を歩いていた。何に使うでもなく思わず買ってしまったツバメノートを送った。自分のものも買った。多分初めてのお揃いのものになった。自分のノートには、未咲から今まで送ってもらったものを書いておいた。年賀状も挟んでおいた。可愛らしくて取っておいた饅頭の包み紙も貼った。好きな人からもらった飴の包み紙を、いつまでも財布の中に入れていた中学の同級生を思い出した。私の行動はまるっきり恋をする乙女と同じなのかもしれない。私は未咲のことが好きなのだろうか。多分、私が自覚している以上にそうなのであろう。自分の気に入ったものを苦なく悩まず送り合うという行動は、本当に気心の知れた人に対してしか出来ないものかも知れなかった。

 よく晴れると五月でも沖縄は夏。気温よりも、日の照り方が夏の様相を帯びてくる。長い夏と秋と、一瞬の冬が繰り返す土地。日中は暑いが夜は過ごしやすい季節。湿度もいつもより低くてよく晴れていて、紺色の夜空のそんな日。帰って来たアパートに人が居る。私の部屋の直ぐ脇の階段に人が座り込んでいた。知らない人が自分の部屋のすぐそばに居る。待ち伏せされてるようで怖くなって踵を返した。その人を避けて私が部屋に向かわなかったのは相手にも明らかにばれている。もしかしたら追いかけられるかもしれないな、と考えて今し方仕舞ったばかりの原付のキーを鞄の中で握りしめた。すると、背から声を掛けられる。聞いた事があるようでない声。

「千咲?」

自分の声を録音で聞くと変な気持ちになるのと同じように、電話越しでしか聞いた事の無い声が実際目の前の人間から発せられると少し混乱するのだと知った。けれど、その人の声だっていうのは分かるのだ。振り返れば、どこかで見た様な顔。あれ、私は彼女と会った事があるんだっけか。それとも写真かなにかで彼女を確認していただろうか。この既視感。写真の中の自分の顔か、鏡うつしの自分の顔か。彼女は自分の、過去の自分と似ているのだ。ちょうど、このアパートに暮らしていたときの自分と。あれ?ここに暮らしていたって、何だろう。今、私は、上原千咲は、現在進行形でここに住んでいるんじゃないのか?

「未咲?」

「そう、来ちゃった」

来るなら言ってよ、心の準備が。って心の準備って何だ?何で彼女と会うのに覚悟がいるのだろう。頭が疑問だらけで。

「ドッペルゲンガー?」

思わず口をついて出た。未咲は短くははっと笑った。今、私って何処に住んでいるんだっけ。未咲が暮らしている京都が、本来、今自分の居るべき土地なのではないか?未咲の家がここなのでは?自分と似た顔が目の前にあるだけで、今まで感じたことがないくらいの不安が押し寄せる。正確には過去の自分と似た顔。この顔をしていた頃の、自分の記憶が思い出せない。何か大事な事があるはずなのに。私は未咲と知り合ったきっかけを思い出していた。蟹を送ってくれた人、園部って誰だっけ。多分忘れちゃいけないのに、今の私は忘れてしまっていて、そして彼女は、未咲は、

「怒ってる?」

そう、彼女は怒っているに違いない。私が園部裕香なる人物を忘れている事について怒っている。だから私に未咲から蟹を送ったのだ。誤配じゃない、あれはわざとだ。

「思い出せそうで思い出せないでしょ、私が目の前にいる限りあなたは思い出せないから」

怖い事を言う。私を責めるためにここへ来たの?思い出せない私をなじるために。私が思い出せない理由が自分にあると未咲は言った。なら何故わざわざ私に怒りを向けるのか。むしろ、私があなたのせいで大切な記憶を失ってしまったと、怒りを向けるべきなのではないか?

 私の忘れてはいけない出来事が、未咲の形をして現前している。未咲が過去の私なら、なぜ、

「なぜここにあなたがいるの?」

もしくは、なぜここに私がいるのだろうか。未咲は私の過去の状態なら、私は一人違う時間から来た人物になっているのか。もしくは未咲の時間だけが違うのか。私は本当はどこに住んでいるのか。分からないことだらけで。階段に座ったままの彼女は、目を細めて笑った。私たち二人は出会ってしまってよかったのだろうか。辺りがやたら静かだ。未咲に見射られたまま動く事の出来ない私は。


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