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シロツメクサ、春の海、あわいひかりのまち

 古い友人からの便りというものは、いつだって突然やってくるものだ。
 結婚、転居、同窓会。それらは予告無く僕たちの小さな郵便受けに入り込み、僕たちの小さな胸を締め付ける。大小の差はあれ。
 そうしてやはり突然、懐かしい差出人の名前が記されたメールが届く。一瞬の高揚。が、すぐに高まった気持ちは小さく萎れていく。古い友人の、葬儀の知らせだ。
 そんな風にして僕はその街へ戻ることになった。 

 三月のよく晴れた日曜日、僕は新幹線で街を目指す。2時間と少し。距離なんて現実感のないものだと実感する。これだけしか離れていない街に、しかし帰ってくるにはそれだけの理由と時間を要した。
 窓の外の景色が僕を追憶の旅路に誘う。僕がこの街に足を踏み入れるのは、大学を卒業して以来だからちょうど5年振りのことだ。しかし、街は変わっていなかった。いや、変わっていなかったといえば嘘になるかも知れない。いくつかのプレハブは空き地になっていたし、空き地には何らかの建物が建っていた。その中には巨大なものもあったし、小さなものもあった。とにかく、確かに街の景色は変わってしまっている。
 それでも僕が「街は変わっていなかった」と感じるのは、体温であったり空気であったり、この街がこの街であるための何かは本質的には変わっていない、ということだ。もちろんたった5年程度で街の本質が変わってしまうなどということはないのだろうけれど、1995年にこの街が経験したドラスティックな変化を思えばあながちありえないことだとも言えない。とは言っても、その時にはまだ僕はこの街にはいなかったのだけれど。しかしまあ、4年間この街に住んでいると、地震の影響はどれだけ時間を経てもずっと深い所に根を下ろしているということくらいは分かる。 

 シロツメクサの広がる空き地を歩く。
 この街にまだこんな空間があることに僕は驚いたのだけれど、何よりもそこに吹く風の香りが僕を必要以上にメランコリックにしていた。ちょっと良くない兆候だ。昔語りでもし始めかねない。昔語りはいつでもある種の虚しさを伴うし、第一誰に聞かせるでもない昔語りをすること自体どうしようもなく馬鹿げている。
 安っぽいプラスチックで出来た、褪色した黄色の日本酒の瓶ケースに座る。この辺りは清酒メーカーの工場が多く、こんなケースが昔からごろごろ落ちていた。変わらない。まったくなあ、と意味の無い言葉が口をつく。空が広く、足許ではシロツメクサがあわく光っている。こんな所があるんだったら学生時代にも来ておきたかった、と思う。なんとなく、だけれど。
 寂しい葬式だった。
 無機質で小さな公民館のような建物の中に、いかにも辛気臭い線香の匂いが充満していた。
もちろんそれは葬式なのだから当然のことなのかも知れないのだけれど、今まで僕が出てきたいくつかの葬式と比べても、抜きん出て虚しさを募らせるものだった。昔の友人は誰一人として出席していなかった。みんな働き盛りだからだろうか。いや、それにしたって…。僕は首を振る。どうしてしまったのだろう。まったく、悪い兆候だ。これ以上考えない方が良い。僕にとっても、僕の含まれるこの世界にとっても。
「こんな気分は春一番に乗ってきえてゆけばいいのに」懐かしい歌だ。 

 春が来ると海に行きたくなる。ここ何年かのことだ。僕にとって春の海は夏のそれよりもずっと親密で魅力的に感じられる。夏の海は何時間も見ていられない(そもそも真夏に何時間も太陽の下にいるのはちょっときつい)のだけれど、春の海は見ていて飽きることがない。これはあくまで僕の個人的経験に基づく個人的見解であって、一般論なんかでは全然ない。しかもそこでは深い沼に足を絡め取られるような抗し難い記憶が僕を捉えて離そうとしない。春の海。昔々、僕を誘った海。 

 むかしむかし、あるところに、わかいおとこがいました。
 おとこはうたがだいすきでした。はたけをたがやすときにはいつもうたをうたい、ようきにはたらいていました。むらのみんなもおとこのうたがだいすきでした。 

「どうだい?」と彼は言った。
 僕はその「わかいおとこ」が「ようきにはたらいて」いる絵と、そのたった3行ばかりの文章とが大きく描かれた黄色と黒のスケッチブックを手に、何というべきか考えていた。ひどく空いている午前の学生食堂でのことだ。とりわけ親しい友人という訳でもなかったが、僕も彼もまだ大学生で、多くの大学生がそうであるようにやはり時間ばかりもて余していたから、たまに大学で顔を合わせると一緒に学生食堂で時間を潰したりしていた。
 彼は絵本作家を目指していたが、実際のところ何度も試みながら一つとして話を書き上げたことはなかった。どういう心的条件がそこにあるのか僕にはよく分からないのだけれど、どうしても最後まで書く気になれないのだそうだ。
「どうって言われてもね」と僕は答える。「たった3行の書き出しに、一体僕は何て批評すればいいんだろう?」
「いいから、何とか言ってくれよ」
 僕は溜息をつく。いつものことだ。まったく。「男と村人達の間にはチャールズ・テイラーの言うところの相互承認が為されており、そこにはポストモダン以前の拡散的でない確固としたアイデンティティが対話的に形成され…」
僕がそこまで言うと、もういい、と彼が僕の話を遮った。
「なんだか腹が立ってきた」
「だろうね」僕はコーヒーを啜り、人々の外を歩くのを眺める。どちらにしたって適当にでっちあげた適当な話だ。彼だってまともな批評なんて期待していなかったんだと思う。本当に「何とか言って」欲しかっただけだろう。 

 彼が作った一番長い絵本は、スケッチブックから破り捨てられることなく今でも僕の本棚の隅に納まっている。いつかそれを書き上げるんだと彼は言っていたが、結局こうして永久に書き上げられることは無くなってしまったわけだ。
 こんな話だ。 

 あわいひかりのまちに そのこねこはいました
 こねこのけなみはまっくろで あわいひかりがてかてかうつります
 こねこはいつでも おなかをすかせています
 こねこはいつでも おかあさんねこをさがしています
 おかあさんねこが どこにいったのか だれもしりません
 あるとき ともだちのからすはいいました
 かぜのうわさにきいたんだ
 きみのおかあさんはとてもくらいまちへいってしまったんだよ
 どうして?
 こねこはたずねます
 さあね といって からすはつづけます
 でも まわりをみればわかるじゃないか
 このまちには くろねこと からすと にんげんしかいない
 きみのおかあさんはしろねこだったんだ
 もしかしたら あわいひかりのまちは くらしにくかったのかもしれないね 

 彼の絵本の登場人物には、誰一人として名前がつけれられていなかった。「わかいおとこ」「こねこ」「からす」、そういった即物的な呼称。僕は絵本に明るくないので詳しいことは分からないのだけれど、彼が言うにはそもそも絵本を読むような子供は偶像に特定の名称を要求していないそうだ。
 そんなものなのかな、と僕は思う。だって、テレビに出てくるアニメーションや特撮ものの登場人物はみんな名前を持ってるじゃないか。
 僕がそう反論すると、彼はいつも何も言わずに両肩を吊り上げた。やれやれ、といった仕草。僕もそんなに拘っているわけではないのでそれ以上は何も言わない。そうして二人とも黙りこくってしまう。いつものそんな感じだった。 

 Beatlesに、You Know My Name (Look Up The Number)、という唄がある。
 彼らは何度も何度も、まるで何かを確認するように歌う。「君は僕の名前を知ってる。」確かに僕は彼らの名前を知っていたし、そして世界中の多くの人が同じように彼らの名前を知っている。まあ、それはそうだ。
 でもこの曲を聴いているとなんだか底の知れない沼に足を突っ込んだような感覚が僕を包む。曲自身がとても楽しいアレンジを施されているにも関わらず、だ。
 ねえ、それじゃあ、この世界の中で、一体どれだけの人が僕の名前を知っているっていうんだ? 

 その日、僕は彼を連れて海へ向かった。
海が近い街だから海へ行くこと自体はそんなに特別なことではなかったが、大学の外で彼と二人でどこかへ行く、というのは恐らくその時が初めてだったと思う。そんな関係でも無かった。それでも彼が絵本を書き始めて以来続くスランプは何らかの刺激を必要としているように思えたし、少しずつ深刻に思い悩むようになっていた彼を放っておけなかったのだ。
 そこは名前なんてあるのかどうかも怪しい小さな浜だが、僕は何度もそこへ通っていた。どうしてそんなにも気に入っていたのかは忘れたが、おそらく何か大切な場所であるかのように思っていたのだろう。あるいは他の何かと間違っていたのかも知れない。いずれにしろその春、その海は僕にとって少なくともある種の意味を持っていたのだ。
 そしてその三月の海は何よりも親密なもののように柔らかな光を反射していた。彼は熱心にスケッチブックにその光景を写し取っていた。いや、実際にその光を写し取れていたかはともかく、写し取ろうと試みてはいた。
「なあ」と彼は言った。「何か書けそうな気がするよ」
「それは良かった」 

 その時彼が書いたのが、例の「あわいひかりのまち」の「こねこ」の話だった。
「これは君に預かっていて欲しい」と彼は言った。
「僕が?」
「ああ」
「どうしてだろう」
「あの春の海を見なけりゃこれは書けなかっただろうし、あの場所を教えてくれたのは君だからだ」
「うん」僕は鼻を鳴らす。
「続きが書けそうになったらまた連絡する」
 そんな風にして未完成の絵本は僕の本棚に納まることになった。 

 結局のところ、と彼は言う。名前のないものにどれだけの意味があるかなんて誰にも分かりはしないんだ、と。
 僕らはいつものように学生食堂の薄暗い片隅に座っていたのだけれど、外の雲行きの怪しさとは反対にその日の彼はいつになく上機嫌だった。
普段語ろうとしないことを、堰を切ったように話し続けた。僕はそのいつ終わるとも知れない彼の持論を聞きながら、しかし頭の中では『good vibrations』のテルミンのパートを反芻していた。
「…るかい?」
「え?」
「聞いてるのかって」
「ああ、聞いてるよ」
「うん、だからさ…」
「ねえ、もう出ないか?雨が降りそうだ」
 その日のあまりに熱の入った彼の話に、僕は少しばかりうんざりしていた。正直なところ。彼はその日何かを聞いて欲しそうだったが、僕はそれを知りつつ(そして彼も僕がそう思っていることに気づきつつ)何も言わなかった。僕が会話の終わりを告げた時、彼は少しの間口を半開きにして何も言わなかった。そしてゆっくりと窓の外を見やった。
 僕の予想通り、食堂を出て十分後には強い雨が降った。駅へ向かうバスの途中。バスの窓を強く雨が打った。 

 結局その後、僕は彼と殆ど話さなくなった。
 自分から疎遠にしておいて、それでもしばらくそうしたことで落ち込んだ時期もあった。これは一般論だが、人間関係なんていつでも流動的なものだ。それ以上何も考えないようにした。
 大学を卒業してからも一度も彼と会うことは無かった。人づてに噂を聞くばかりで。大学院に進学した後メーカーに研究者として就職したが1年で辞めただとか、その後はバックパッカーになってカトマンドゥに何ヶ月も沈没してるだとか、そんな話だ。絵本作家になった、という話は全く聞かなかった。結局、最後まで書き上げることは出来なかったのだろう。 

 彼の死因については詳しくは話されなかった。親族に尋ねてももごもごとごまかされるばかりで。噂から大体の想像はつくが、そうして想像される姿は心寒い彼の姿ばかりだった。 

 出棺の時、僕は親族に頼んで彼の絵本を棺の中に入れてもらった。例のこねこの話だ。
それからもうひとつ、僕の手紙も。こんな手紙。 

 とてもくらいまちに そのわかいおとこはいました
 わかいおとこのこころはまっしろで くらいせかいにうきあがります
 おとこはいつでも さびしいおもいをしています
 おとこはいつでも ともだちをさがしています
 ともだちが どこにいるのか おとこにはわかりません
 あるとき じぶんのなかのもうひとりのおとこがいいました
 かぜのうわさにきいたんだ
 きみのともだちはもっとくらいまちへいってしまったんだよ

 そんなわけで僕はもっと暗い世界を生き続けることになったし、一方で彼は暮らしにくいくらい世界を抜け、淡い光の世界へ行ってしまったわけだ。
 懐かしい街のシロツメクサの広がる空き地は、僕の暗い心を浮かび上がらせていた。

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