終わりがあるから楽しい

物事には必ず終わりがある。

今日、授業の重めのレポートを締め切りより少し早く
終わらせることができた。
いつも工数分解できずにキャパオーバーでギリギリ提出なのに
ちゃんと想定通りに終わった。

とても気分がスッキリしている。お酒をあけたい気分だ。

この達成感は「終わり」があるから感じられるのだと思う。

仕事も終わりがあるといい。
「私は今のインターンの仕事をやり続けるのは厳しいかもしれない」
とふと思ってしまった。
こう思ってしまうのは2つ要因がある。

1つ目。

目標が定期的にリセットされてしまうこと。

現在、インターンで関わっている事業は人材紹介である。
人材紹介は紹介した人が転職したらお金をもらえる仕組みなので
月目標は「紹介人数」になる。

その前に1年単位で売り上げ目標があるので、それを四半期ごとに割って
月で割って、個人に振られて、という感じだ。

この場合、月の目標を達成しても達成しなくても
翌月にはリセットされてまたゼロから積み上げることになる。

制度では四半期で出した成績が賞与に反映されるので
前月よかったから今月手を抜けるってことはない。
仕事なので当たり前だが。

私にはこれが果てしないマラソンに感じる。
自分がやめたり、他の部署に移らない限り
ずっと紹介し続けないといけない。

毎回上手くなるのだろうけど、それでも果てしなく感じる。
この道を極める覚悟なんて到底ないし、そのつもりも毛頭ないからだ。


2つ目。

自分がどうなりたくて、どんなスキルをつけたいのか決めてないから。

ありたい姿や得たいスキルがあるならそれが仕事をやる目的意識になる。
これがあれば終わりはくる。
そのスキルをだいたい身につけたなと言えたら終わりだ。

今の私はつけたいスキルあまりない。
正確には、あったけど自分の中ではクリアしつつあって、次の得たいものは今の業務以外にあると感じている。

ありたい姿に近づくには必要なこともあるけれど、違うことでもいい気がしている。

つまるところ、どっちつかずだ。
社会人ゼロ年目なんてやりたいこととか仕事でどういう領域で戦っていくなんてまだ見えてこない。
だから、わからない、って思考を避けてる自分もいる。
とても逃げている。

しかし、それを考えることも終わりがあるのだ。
一旦考えて仮説でいいから決まれば、業務も打ち込めるだろうし終わりが見えてくる。

抽象化すると決断することが大事なようだ。
よく自己啓発本で出てくる結末になってしまった。


そう言えば。小さい頃から運動は得意だったが
マラソンや長距離走だけは終わるまでが長くて嫌いだった。
自分との戦いなところもきつかった。
仕事も短距離走になるように自分でコントロールしていきたい。


それではまた会う日まで。









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