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ひこうしょうねん(非行少年/飛行少年)

「お父さんなんて嫌いだ!」

その日の晩ごはんが全部ひっくり返るような大ゲンカをした。お母さんはどちらかといえばお父さんの味方をしていた。

ええい、グレてやる。
ぼくはお母さんのお気に入りの大きな白い毛布を手にとって、マントのように首に巻きつけた。そのまま一階のベランダからぴょんと飛び出る。

そうして、お父さんなんか嫌いだ!お母さんなんかもっと嫌いだ!という力をマントに込めてもう一度低く飛んだ。なるべく低いところから飛ぶ方が力が出るのだ。

するとぼくの体は高く高く、屋根よりも学校の屋上よりも高く飛んだ。
飛ぶ度にテレビで見たムササビと自分の姿を重ねてしまう。
真下に建物の灯りが沢山見える。ホタルみたいだ。

「ジロちゃんもケンカしたの?」

頭の右上から声がする。見上げるとクラスのヨリエちゃんだった。ヨリエちゃんはレースのテーブルクロスをマントにして飛んでいた。

「ちゃん付けやめろよな」
「だってジロちゃんいつもスネて飛んでるんだもん。飛ぶ力がいっぱいすぎて女の子みたい」

ほら。とヨリエちゃんが遠くを指差す。ちょっとお高く止まった人が沢山住んでいる団地の上で、ぼくらみたいに飛んでいる女の子が沢山いた。
ぼくらみたいな小学生も幼稚園児も高校生のお姉さんも飛んでいる。
みんな家族や友達と何かあると憂さ晴らしに空を飛んでいた。嬉しすぎるとか怒ってるとか悲しいとか辛いとかを力の源にしてぼくたちは空を飛ぶ。

「あっちは偶然女の子が沢山住んでいるだけだろ。山の麓の方だと飛んでる男多いぞ」
「山の麓まで行ったことないもの、わたし」
「ヨリエは遠くまで飛ばないもんな。臆病だから」

ヨリエはいつも自分の家の半径50mだけをぐるぐる飛んでいた。

「ジロちゃんは色んなところに飛んでいくよね、怖くないの?」
「怖いよ。怖いけど、どうせ近くしか飛べないんだってお父さんとお母さんに思われたらシャクだからさ」
「ふうん」

「でもヨリエ、今日はずいぶん怒ったんだなあ。俺より高く飛んでる」
「だって、ママのお気に入りのコップ、割ったの妹だったのに。わたしのせいにされたから」
「最悪じゃん」
「でしょう」
「でもあんまり高く飛びすぎるなよ。戻ってこれなくなるから」
「そんなこと、ジロちゃんに言われなくたって分かってるよ」

ヨリエちゃんは頬を膨らませた。

「なあ、ヨリエ。知ってるか。ここみたいな田舎だと子供しか空を飛んでないけど、都会だと大人も空を飛んでるんだって」
「嘘だあ。だってママ達は飛ぶのは恥ずかしいからやめろって何度も言ってくるよ。もし本当ならテレビのニュースになっちゃうよ。シャカイゲンショウだ!って」
「ニュースにもならないくらい、都会では普通なんだろ。ちっとも恥ずかしい事じゃないんだ」
「そっかあ。大人も空を飛ぶのかあ」

ぼくはまたヨリエちゃんを見上げた。ヨリエちゃんはぼくなんか見ずに更に上を見上げていた。

「ねえ、ジロちゃん。ジロちゃんは大人になったら空飛ぶのやめちゃう?」
「ヨリエは?」
「わたしは恥ずかしくなったらやめるかな。お姉ちゃんも恥ずかしいからって高校生なのに飛ぶのやめちゃったし」
「そっかあ。俺はずっと飛びたいな。だってそれ以外にこの気持ちをどうにかする方法なんて、分かんないから」

ぼくはヨリエちゃんみたいに空を見上げた。夜空の透き通った黒はどこまでも続いていた。まるで大気圏も宇宙もないみたいに。
どこまでもどこまでも。

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