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「野田の日記・はじめのほう」感想/ある愚直な若手芸人の日記

 こんにちは、来月はキングオブコントが放送されますね。どのファイナリストも気になりますが、中でも昨年M-1王者になったばかりのマヂカルラブリーが一際目立っています。
なので、今回はマヂカルラブリーの野田クリスタルさんが書きました「野田の日記」の感想文です。尚、前後編なので感想文も二回に分けて綴る方針です。今回は前半の「野田の日記 2006-2011(はじめのほう)」の感想を書き連ねますが、その前に改めて私がマヂカルラブリーについての思いを書き起こします。

想い出と説明

 詳細は上記の記事にも書いてありますが、今振り返ると「ヤバイ」としか形容出来ない痛々しい出会いでした。それで知った後にマヂカルラブリーのHPを発見してサービス終了まで定期的に野田の日記を読み漁っていました。
 世間ではあまり知られていないけれどもネタも日記も早い内から虜になり、いずれ有名になると信じていたら昨年嬉しいニュースが飛び交ったのでそれは本当に喜んでいました。

 さて、ここから日記の感想文になりますが、以前から見知っていたので読んでいた当時の感想も思い出しながら纏めます。尚、年ごとの見出しの副題はマヂカルラブリーもとい野田クリスタルさんの身の回りに起こった大きな話題が由来です。

そして、私がその年ごとに気に入った日記はタイトルも紹介します。タイトルは日記に掲載しているものを仕様上そのまま載せますのでここで出典元を書きます。

参考文献
野田クリスタル
「野田の日記・はじめのほう」
よしもとブックス

2006年「日記、開始」

 野田さんの日記はこの年に始まったので副題もそこから来ています。この年はまだ野田さんがピン芸人でかつ現在所属している吉本興業にいなかった所謂「地下芸人」だったため、私はこの時期をリアルタイムでは知りませんでした。

 さて、肝心の日記の中身ですが、テレビで知ったその当時の芸風のような本当に若さを痛感しました。書き始めた時はまだ未成年(この年11月に20歳)であったので尚更引き立っています。しかし、当時セクシーチョコレートだったアルコ&ピースの平子さんやこれまた当時の桜前線だった錦鯉の渡辺さんが描かれている貴重な要素もこの時はありました。中でも私がこの年の日記で気に入っている

「2006/03/26(日)考えました」

は平子さんが当時のコンビを解散してピン芸人になる為に、野田さんが新しい芸名を考えるという表向きは何とも先輩思いなんだろうと感心して蓋を開けたら…と中身は酷い有り様ですので初心者向きではないですね。また、芸人としての活動よりも日常や郵便局アルバイト時代の内容が多いです。このアルバイトは数年後までに続きます。

    と言うよりも、野田さんもこの本の前書きで述べていましたが初期の日記は多くの人に読んでもらうために書いた訳ではない故に、初心者は最初から読むと大火傷する内容ばかりです。なので、私としては後編から読むというのもありだとオススメします。

2007年「マヂカルラブリー、結成」

 この年は野田さんが年始の日記でこの先覚えていない年になりそうと仰っていましたが、実際は

「2007/1/15(月)マヂカルラブリー」

というタイトルを私が気に入る程野田さんの人生の大きな転換期になりました。ただ、この日記が書かれた時はお試しだったという印象が強かったものの、この機会を逃していたら野田さんもとい村上さんは今どうなっていたんだろう考える時はあります。
後、この日記の中身は思ったよりも下品です。そして、コンビを結成してすぐではありませんが野田さんは吉本に戻ることになりますけども、この時も私は存じ上げていませんでした。

 それはさておき、肝心の日記は芸人としての活動の内容が増えましたが、まだ若さの荒々しさもあり、この年は日記の一部で村上さんに関するフィクションが含まれていたのでまだ二人の距離は今よりも適正な感覚を得ていなかったと見受けられます。この初々しい距離感でしか堪能できない時期も日記に残せば、歴史的資料になり得るのです。

2008年「初めての、準決勝」

 この年はマヂカルラブリーが初めてM-1グランプリの準決勝に進出しました。結成2年目でいきなりの快挙ですが、元々野田さんだけでなく村上さんも別々でグループ活動していたので各の地力が出せていたからだと推測しています。それで私のお気に入りもそれに付随して

「2008/12/08(月)準決勝 第1話「鍋茶屋コントフォール」」

と完全に意識しています。ただ、当時の準決勝は今のと仕様が異なりますが大舞台に立つことの達成感を浴びせられました。ただ、その感動もオチに全て持ってかれましたが。

 さて、日記はと言いますと、内容が明るい話も増えてここから出演したライブの感想だけでなく、日記で宣伝もするようになっています。要は初期と比較して読みやすくなっていますね。まだ、私は存じ上げていない頃でもありましたが。
しかし、清潔感が表れても痛々しさや燻っている感は否めません。ただ、吉本の芸人の名前も登場するようになり、野田さんの生きている世界は少しだけ地上感があるのも読みやすくなっている要因になっていますが、肝心の芸風は当時の動画を見返していると無骨感に溢れている時代です。

2009年「もがくだけの、日常」

 この年はマヂカルラブリーとして目立った話題がありませんでしたものの、この時に私はWikipediaで彼らの名前を知りました。ただ、野田の日記を読むようになったのはまだ先の話です。
そんな中、私のお気に入りは

2009/09/08(月)この季節になると思い出す

です。野田さんは高校時代にプロ入りした事実は既に知れ渡っています。日記はその当時の痛々しい思い出を振り返る内容です。
 ここで、この「野田の日記」は一部の日記に今の野田さんが読み返した感想が書かれてあります。こちらにもありまして、めちゃくちゃ後悔している有り様にクスリとしました。

    ちなみに、日記の内容は前年とあまり変わりません。

2010年「M-1グランプリ、一旦終了」

 この年でM-1グランプリは一度終了してしまいます。マヂカルラブリーは敗者復活戦(準決勝)止まりとまだまだ先に行けませんでした。しかし、この頃に私は野田の日記を知って、定期的に読み漁っていました。なので、最初の頃の日記を読んで生きている世界の違いに驚かされつつも、継続して書くことがある意味成長を垣間見られる貴重な体験も楽しんでいたのが懐かしいです。

 さて、私のお気に入りは

2010/08/17(火)奇妙な芸名、コンビ名を紹介するコーナー

と、よく箇条書きで紹介する企画で私が好んでいるものです。ちなみに、2013年にも似たような企画を実施していました。
この中で2021年現在にも生き残っている芸人はひとつまみ程度と読み返したら哀愁感も味わえます。しかしながら、変な芸名は毎年のように現れ、今はSNSもあるので尚更発見しやすくなっています。強烈な印象と共に愛くるしさも感じていると私はそう捉えていますが、「マヂカルラブリー」は変なコンビ名だと思っています。

 尚、日記の内容はまたしてもそこまで変化はありませんでした。

2011年「野田クリスタル、衣装変更」

 この年から野田さんはタンクトップとGパンというラフなファッションだったのが、黒のスーツ一式になりました。その装いはまるでエレファントカシマシの宮本浩次さんさながらです。
また日記にも書かれてありましたが、この年から暫く開催されたTHE MANZAIの本戦サーキットでいきなり2位になるなど活躍の場が広がろうとしつつも、結局この大会で決勝進出するのは一度も叶いませんでした。

話は日記に戻しまして、私のお気に入りは

2011/11/09(水)今度の漫才協会は新ネタっす

と野田の日記はタイトルボケも多い中、中身とタイトルが合致しない一番面白い奴です。では、中身は何なのかと言うと、某少年漫画を賛美するものでした。
    そもそも、野田さんは少年漫画が大好きで他の日記にもそれに関する話が沢山あります。漫才やコントにも漫画が由来のネタもある程です。相方の村上さんも話についていけるので、趣味の一致でコンビが長続きするのも興味深いですね。

    日記の内容は上記のように文章で遊ぶ事にが増えても、読みにくくなっているかと言うとそうではありません。

後書き

     改めて好きな日記を本で再読すると、ネットで見ている時では分からなかった事が判明したり、あの時の方が面白かったり、色々と怒られないように伏せ字がされたりとノスタルジックに浸っている場合ではないと気付かされます。
しかし、前編は19歳~25歳当時の野田さんが書いていらっしゃったので、今の彼では書かないような内容も散見されます。特に露骨な下ネタは後編になると減りますが、子供っぽい下ネタは逆に増えます。なんででしょうね。

    それはさておき、後編は別記事になります。ここからは今の野田さんへとどんな風に仕上がっていくのか楽しむ日記です。前編は愚直な若手芸人だった頃の野田さんの日記です。

最後に、野田の日記・前編の商品情報はこちらです。


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