好きだけを書きたい

 お久しぶりです。
 日曜劇場「VIVANT」で毎週、狂喜乱舞しています。
 やはり二重人格創作は良いものですね!
 何だかんだ言って人類やっぱり二重人格多重人格創作大好きだと思うんです、作品が終わった頃に新作の供給が来る。この魅力には抗えない。素直に魅力に溺れ、自ら創作せねば息ができなくなる同士が増えることを、心の底から願っています。みんなこの沼に溺れて全身沈んでね。同じ沼の住人を待ってるよ。

 さて。

 この夏、僅かながらですが、一次創作字書きさんたちと交流しました。文フリ大阪で無配委託させていただく予定があり、一次創作の界隈にも進出を試みたのです。
 結果、敗退しました。
 ダメでした、私が。空気が合わなかった。

 賞を受賞しました。何次審査で敗退しました。公募に出しました。締切まであと何文字。ランキング何位でした。閲覧数がほしい。★がほしい。感想がほしい。レビューがほしい。自作を多くの人に読まれたい。書籍化したい。
 読まれたい。知られたい。認めてほしい。

 全部どうでもよかった。

 賞をとれば偉い。審査に残れば偉い。ランキング上がれば偉い。閲覧数や★が多ければ偉い。
 その雰囲気が嫌になってしまった。
 どんな賞をとろうが、何位になろうが、私にとっては「私に刺されば優勝、刺さらなければ何も残らない」シンプルにそれだけの話だった。何百万本ヒットを打っていようが、私に響くホームラン一本が無ければ全部空振りと同じだった。二次創作や二重人格多重人格が掠った話なら、ホームランゾーンは果てしなく広い。しかし、一次創作になった途端、ホームランゾーンは針穴くらいの狭さになる。刺さらなければ何の意味もない。いろんなものを読んだ。刺さらない、刺さらない、刺さらない。読むのって楽しいんだっけ。
 ちょっと見方を変えたいと、芥川賞受賞作や候補作を何冊か読んだ。刺さらなかった。どんなに凄い賞をとっていても、自分に刺さらなければ、そこに好きが無ければ、それは紙束と同じなのだった。図書館で手当たり次第に新作を借りたものの、見るのも嫌になってきた。返却期限が来ても、ページを捲る気になれない。
『つまらない』が層のように積もってきて、嫌になった時、日曜日になった。VIVANTを観た。
 楽しかった。自分の好きがそこにあった。
 読めていない本を図書館に全部返した。

 結局、自分は、好きなものを好きな時に、好きなだけ書きたい、それだけだった。
 好きなものだけを書きたかった。他はいらなかった。溢れ出して仕方ない『好き』を練り固めて、同じものが好きなひとと共有できれば、それで良かった。
「好き過ぎて書かずにはいられない!」
 私の創作は、その結果でしかなかった。
 崇高な目的なんて何もなかった。食べたら出るのと同じ。好きなものを食べたら、息を吸って吐くように、ときめきが出てくる、シンプルにそれだけ。
 そもそも思い描くものが違うのだから、周りの空気が合わなくても仕方なかったと、今となっては思う。

 これからも、好きなものを好きなだけ摂取し、溢れた好きを、好きなだけ書きたい。
 望まれなくても、勝手に書いているだろう。好きなものにひとり悶え狂うだけじゃ足りない、欲を言うなら、道連れが欲しい。誰かの足首を掴んでこの沼に沈めたい。わたしの好きマシンガントークを正面から浴びて蜂の巣になってほしい。ゾンビは共に狂う仲間を求めて徘徊するいきものなのである。
 自分の過去作品が好きで、何度でも読める。自分の好きの煮こごりなので、楽しくて仕方がないです。
 自分をハッピーにするために、書くのだと思う。

 二重人格が好きだ。を詰めて書きました。

 文フリ大阪の無配書き下ろし小説も、好きを詰めました。お気に召すかはわかりませんが、私は好きです。

 文フリ大阪で、サークル【マヌル帝国】さんに無配委託させていただきます。


 参加させていただいたアンソロも頒布されます。新庄の参加作品が試し読みできます。


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