どんな感情をもつことでも、感情を持つことは、常に、絶対的に、ただしい

こんにちは。大体夜に書くことが多いnoteを、
天気の良い平日の午後に開いたのはいつぶりだろうか。

先程、LIGHTHOUSEを見ていて、
星野源が、「2秒前の幸福は、温もりに隠れた」と歌っていて泣いちゃうし、
共有しないで、1人探究して愛する時間はかけがえのない、幸せな時間。
音楽のジャンルを冷笑的ラベリングに使う人は、友達じゃないという言葉は、
ブーメランとして刺さり、私の人間のできてなさに少し落ち込みました。
大体のことはブーメランなので、捻くれていて、誰かのことを嫌う私は、
誰かからきっと嫌われていくんだろうと間違いなく思います。

昨日だいきらいだった先輩が、バイト先にきて
2時間くらい空気くらい軽く、中身のない、
無駄で、つまらなくて、私を下にみたいだけの話をして帰っていったが、
その憎悪を誰かも等しく感じていてほしいという私の傲慢な感情もセットで嫌な時間になってしまいました。

私の努力も、辛さも、悲しさも、
全部私と同じようには感じてもらえないんだと思うようになってから、
あまりそういう話をしたくなくなってしまった。
そういう話は、こういうリアクションや返答をしてほしいと、
変に期待して、プレッシャーをかけてしまい、
私がかわいそうな人になってしまうから。
どんな言葉よりも
かわいそうだね?
と言われることがいちばん嫌かもしれない。

普通に生きられる人が羨ましい(令和ロマンANNX くるま)
そう。
普通に、昼寝を予定にいれられる人がうらやましい。
普通に、恋人に愛されることになんの不思議も感じない人がうらやましい。

優しい言葉ばかりを使っていきたい。
優しい言葉で会話をしてくれる人は、私も嬉しくお別れできるけど、
なぜか私は
いつも妬みや嫉み、私じゃない人への不満や偏見を熱心に喋っている気がする。

これが性格が悪いというのか。
でも、
「どんな感情をもつことでも、感情を持つことは、常に、絶対的に、ただしい」と
ジャズ宣言が言っていたから、大丈夫。

私は、私が、大丈夫って思ってあげる。

付き合った瞬間に、その人は、1人で生きている人ではないと
そう思ってしまうのは、行き過ぎた思考ですか。
結局、ひとはひとりと最近はよく思いますが、
それは、恋人のいない人のみが適合する言葉ではないですか。
違うか。違うね。
恨みだまただ。

人に執着しないこと。
大事だと自覚するほど、手放したくないと思うほど、
人に期待するほど、
執着の種は、育っていく。
執着しないようにするコツは、執着のかけらを複数人に小さく配るか、周りに目を向けず優雅に自分の内側を深めていくかだと思ってきました。
前者は、だれかに迷惑をかけてしまうことがあるので嫌いな考えです。(それに気付かずライフハックとしてそうしている人は改めてください)(それについて怒り、その人を傷つける勇気もないが、かなしいこと)

とりあえず、自分の内側を育てていこう。
源さんありがとう。

15時なので。もうおわり。

高円寺、阿佐ヶ谷、朝方、オレンジ。

私のたくさんの思い出。かなしく、エモく、凡庸な思い出。
さよなら私。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?