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記録と記憶

本日は或撮影があった。僕は動画を撮影していたが、もうひとりはフィルムで写真撮影をしていた。

「写ルンです」だった。

13〜4年前の僕も写ルンですを常に握りめた生活をしていた。高校の野球部に所属していた頃だ。振り返ればあの頃から少しずつ自分というものを世に出し始め、又受け止めてくれる仲間も出来た。

それまでは通じ合う存在はひとりもいなかった。
他人が悪かったわけではない。己が悪かった。思春期だったわけではなく、当時の周囲の中で他人より秀でたモノを持っているという誇りがあったからだろう。それが野球だと信じていた。信じようとしていたのだ。そして、中学から高校に移る時に「絶対に本当の仲間を作る」と決意し進学した。

入部初日の練習で野球への誇りは粉砕した。自分の力量を悟ったのだ。しばらく苦痛だった。すべては野球で格差が生じる世界で野球が上手くないと知るのは。逃げ道はなく、落魄した。 踠き向き合った先に産まれたのは、意外にも友だった。幾度となく衝突もしたし、葛藤も劣等もした。しかし友もまた苦しんでいた。鏡のようだった。そこからは随分楽になった。高校2年の2月頃だろうか。そして自分というものも見えてきた。野球以外に何が好きなのか。

高校3年の夏前に格下に敗戦。緊急ミーティングが行われた。最後の夏を前に世代交代をするという内容だった。同期だけで集まり本音をぶつけ合った。柄にもなく挙手をしてみんなの前で話した。甲子園に行きたい。と伝えた。そのために入部した。格差を受け入れるのも嫌だったが、つまらない自分のプライドを盾に取り繕い試合に負けるのはもっと嫌だった。そこで思い出した。本当の仲間を作るという目的を。

2006年甲子園に出場した。

勿論僕はアルプスだったが、眺めも気分もかつて無いほどだった。それだけで充分だろう。そう思える自分は他人よりもちょっぴり強くなっていた。

そして、13〜4年前の僕も撮った写真と共に言葉を添えていた。自分の存在がわからない。と書いてあった。笑った。今もなんら変わらない。寧ろより偏屈になっている。自分を主張できているのだろう。

いま僕を支えているのは友に加え文学だ。先人の言葉が助けになっている。だから恥を忍んで書いている。頼まれてもいないのに真似をしているのだ。これを見てどこかの誰かの励みになってもらえたら幸福を感じる。

写ルンです。で撮った写真は久しぶりに覗いたが、まったく色褪せていなかった。記憶もまた同じく。褪せるまで持ち続けよう。苦はやがて美に育つ。

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