見出し画像

進路

「BIGになる」
中学生の時に提出を求められた将来の夢だと記憶している。何にでもなれるように明言を避けた。
今でもはっきり覚えている。
当時の僕が絞り出して書いた目標だ。
無論、叶っていない。

県内の名門野球部がある高校に入学した。
僕が中学3年生の夏に、ダルビッシュ有投手擁する東北高校に競り勝ち甲子園を優勝した高校だ。
野球を始めた小学4年生から憧れた高校。
当時は珍しい白とエンジのユニホームが誇り高く感じた。なにより校歌が好きだった。

僕は茨城県の水戸市出身だ。進学した高校はつくば市よりの土浦市だ。
少年野球のクラブチームに入っていた。
僕が小学生の頃に水戸商業高校が選抜の甲子園で準優勝をした。教わっていた監督も卒業生もOBが多かった。僕が憧れた高校の名前をクラブで話すのはなんとくタブーだった。宿敵だったからだ。
本当は皆好きだったのに。

小学生の頃は、松坂大輔投手擁する横浜高校が大好きだった。絵に描いたような伝説の数々。
春夏連覇。国体を通じて初の3連覇。無敗。
中学生の時に母に頼み、横浜高校へ問い合わせをしてもらったことがある。身長制限で断られた。
僕は当時145cmだった。
ミニモニなら権利はあったかもしれない。

過去にやっていた番組で横浜高校のユニホームをスタジオに飾ったことがある。
片付けの際に、後輩にこっそり写真を撮ってもらい、母にだけ送った。
母の部屋には今も高校3年生だった僕と母で撮った写真の横に就職してから撮った横浜高校のユニホームを着たマネキンと映る僕が母の生活を見守っている。

入部した初日で当面の目標を失った。
その予想は当たり万年補欠だった。
後悔はない。最後の夏に甲子園に出場できたことが大きい。地元の高校に進学すれば試合には出れたであろう。が、野球の知識も自分の甘さも新たな夢も本当の友も手にすることは出来ず、今ものうのうと野球を続けていたかもしれない。後悔していない。
高校最後の日に校歌を歌えたから。

大学はデザインを勉強するため情報学部を志望した。ピクサーに就職したかった。
「トイストーリー」に衝撃を受けた。
限りなく現実的なファンタジー。
「宇宙の彼方へ、さぁ行くぞ。」バズライトイヤーの名台詞だ。なんてことのない日常の中で目指す宇宙。芥川賞と直木賞をダプル受賞したようなとてつもない作品だと感じた。しかし、すぐに諦めた。知能が付いていかなかった。 教職免許を取得するため数学を専攻した。
取得したのは、高校・中学の数学、及び高校の情報だ。授業は面白かった。数学とは哲学だった。
公式がなぜ公式なのか答えよ。
理屈っぽい僕には幾何学は合っていた。

とにかく創作できる職に就きたかった。
就職氷河期だったので80社受けた。
文字通り山ほど履歴書を書いた。当時は提出物が企業ごとにあった。出版社なら作文、テレビ局なら夢、ジュエリーやインテリアならデッサンさせられた。他にも文房具、空間デザイン、オリエンタルランドも受けた。採用されたのは1社。
今の制作会社だ。社長には恩義を感じている。
結果的に1番やりたい路線へは就職できた。

就職して初めて就いた番組は「爆生レッドカーペット」だった。レギュラーが終わり、不定期で生放送をしていた2012年に配属された。
僕の年齢で1年入社が遅いのは留年したからだ。
単位を200以上取ったのに、卒業研究で落ちた。
この経験も僕には大きい。
決定した時は愕然としたが、敷かれたレールを踏み外す勇気も得れた。改めて母に謝罪と感謝を。

今は物語に拘ろうとしている。書きたい。
多種多様な試験を受けてきた。
試されるのが好きだ。その先に進路も付いてきた。
15年以上前に書いた公約が達成されていないことに僕だけが固執している。

母ですら覚えていない学級だよりだ。
でも1人だけ覚えてる。僕だ。
僕が見てる。鏡や自撮りをするといつも思うんだ。

あなたもあなたを見てますか。
今日から僕も少しだけあなたを見る。
物を語るために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?