僕と東京タワー

光って消えるただそれだけと知りながら 光る僕はきれいでしょう?

清らかな灯りを見上げながらRADWIMPSの蛍を口ずさむ。彼を眺める時はいつも気分の良い夜だった。

粋がる東京のビル風も、彼の前では穏やかな心に戻る。

産まれたばかりの彼はその高さで知名度を売っていたが、今では己を発光させることで「やっぱり綺麗だよね。」と存在を維持していることに敬服する一方で、それでも芝公園から見上げる彼は光よりもやはり高さを感じた。

つまり、遠のけば美しく、近づけば勇ましいのだろう。「最高じゃねぇか」と思った。

僕は幼い頃から背が低かった。
僕の中で見上げることは空気を吸うような行動だった。無論、劣等感も烈火の如く感じた日々もある。しかし、今はなんとも思ってない。諦めたのだ。どうしようもない。他に魅力的な部分を作るしかない絶対的な事実だった。そこで向いていないことへの判断が早くなった。群衆が目指す方向に背を向ける能力が備わったのだ。

今では地元の友達に会うと僕の背が伸びていることに驚く。現身長は168cmだ。一般男性の平均ぐらいだろうか。「いや、どんだけチビだったんだよ。見えてたのか。」と思うが、何が伸びたかといえば心が伸びたんだろう。万物のものに気にしなくなった。

人は他人なのだ。
どこまで気負っても他人だ。

そして、また彼を眺める。大きく見えるのは彼の心が寛大だからだろう。だから美しい。
では、いま僕を遠くから観ている人は、僕を美しいと感じるのだろうか。愚問だ。

まだまだ万物に気を配る哀われな僕がいる。
人間なんだな。手に当たる胸の鼓動に笑った。

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