31歳の僕にとって友とは何か

宇都宮駅西口を出てどこまで歩いた時か気がつくと「結構歩いたな。」と思わず自分を褒めるほど馬場通りを西に歩いていた。

高校の同級生が開いたお店に向かう途中だった。眠りにつくようにお店の明かりが消えていく。藍色が深まる都会の夜に又吉直樹の人間という小説を貪るように読みながら進む。

話は終盤に近づいていた。場面は主人公がずっと意識していた旧友とバーで語り合い、太宰やキリストといった作者の核になる人物たちが登場していた。猛烈にのめり込みたい展開、宇宙の中で又吉直樹が又吉直樹と話すような会話を盗み聞きしているような感覚だった。

目の前を活字で埋め尽くしていた僕だったが、一台のバスが横に止まった気配を感じ、ふと顔を上げた。赤信号だった。
それは神様に一旦止まりなさいと指示されているようだった。

すると突然、朱い枠の中に収まる人に呼ばれ吸い込まれる。同時に過去の記憶がフラッシュバックした。
一瞬自分がどの時代を生きている自分なのか方向感覚を失った。

小学校1年生の初めてのテストで名前という漢字が読めずカンニングをした。明らかに問題ではなくとても重要な欄の作りをしていた漢字が読めなくて狼狽した。禁じられている行為を犯した自覚はあったが、隣の子が自分の名前を書いていて、なまえと呼ぶことに安堵したことを覚えている。

中学2年生の野球部新人戦前日に骨折をした。走者の明らかな暴走で自分に非はまったくなかったが、怪我をしたタイミングの悪さに不甲斐なさを感じ、脱力する左腕を思いっきり殴った。病院に行くと、後から強い衝撃を与えたか確認された。どうやら綺麗に骨が折れて返って治りが早くなったらしい。

他人から見れば、どこを切り取ってもきっと飛田なのだろう。迷っていたり悩んでいるのは自分だけであって他人から見れば必ずその決断になったと言える。

もっとこうしておけばと思いながらも、また繰り返すのはそれは僕だからで、改善しようと試みながらも変わらないのは、他人が僕に対しての態度を決めているからだろう。いつもの僕ではないと感じてもらえるのは、僕と他人のタイミングが合った時なんだとここ最近気づいた。

だから僕は僕でいいのだ。どこまでも僕で。直すのも返って他人に迷惑をかけることもあるらしい。

赤信号を待つほんの数分、僕は僕自身と宇宙の中で会話をしていた。

この1ヶ月仕事で悩み、他人を尊重しようとして衝突した。好きようにすればいいと委ねたことが、自己防衛だと罵倒された。優しくした時に噛み付かれ、無視を決め込んだ時に撫でられた。他人とリズムを合わせるのは難しい。だからこそ音楽は尊く美しく感じるのかもしれない。

船酔いするような激しい自意識過剰な回想の中で、煌々と輝く店だなと思った店が友人の居酒屋だった。

店は賑わいを見せていた。
初めて入った店内はとても明るく、どこか部室のような柔らかさを感じる雰囲気だった。

軽く挨拶をしてメニューに目を落とす。品数が思ってるよりも多く驚いた。そこから長芋の千切りを頼んだが売り切れていた。時刻は閉店間際で、仕方ないかと思いながらも口ではからかってしまっていた。

ビールを頼む。威勢の良い返事とは裏腹にぎこちない表情で一生懸命注いでくれた。
美味かった。

流れる音楽に耳を傾ける。RADWIMPSやOfficial 髭男dismといった今を彩るアーティストたちの名曲が流れていた。僕は「いい選曲だね。」と言った。でも、「USENだよ。」と言われた。「USENかよ。」と思ったけど、周りを見渡すとガヤガヤと楽しく会話をするお客の声が混じり、USENがコーラスになっていった。「USENやるな。」と思った。

そこからしばらくは隣に座る常連さんと会話をした。常連さんは「調子の良い時はどんどん調子に乗りな。いつでもそうではないんだから。」と教えてくれた。その言葉は、謙虚という言葉を乱用されるよりも血の通った素敵なプレゼントだった。
その常連さんはグラスを空にして席をたち会計を始めた。飲みに来る部下のためにお金まで置いていっていた。粋だった。

それから数分後に部下が入れ替わりにきて、僕の隣に座った。歳が近いのだろう。ものづくりについて熱く語り合った。「金属は溶かせば、新しく生まれ変えられるんです。」と教えてくれた。過去にギターなども作っていた経歴から現職にたどり着いた。そう話すその方の人生は、溶かさずとも生まれ変われる人生だなと思った。話を聞いていて格好良さがスッと僕を通り抜けた。

閉店後、友人に行きつけの居酒屋に連れて行ってもらった。疲れているのに気を遣わせて申し訳なかった。ふと、いつかのLINEが頭を過ぎる。「空いている時に行くよ。」と言った自分の返事を思い出す。やっぱり申し訳ないと思った。

それでも数時間、時を忘れて語り合った。最近の決まり文句のように「飛田の映画をみたい」と告白された。「言われなくても作るよ」と思ったが、やっぱり嬉しかった。

そして、足の踏み場がない家に泊めてもらった。喘息持ちなのに暮らせていると自慢されたがそれには返事をしなかった。
いつの間にか好かない友達の悪口をしていて、時間の無駄だと同時に気づき眠りについた。

そして今、又吉直樹の人間を読みながら、あの日を振り返り東京に戻る。

小説は、父の話がふんだんに書き連ねられていて、僕も思わず父を思い出していた。

僕は母子家庭で、父にはもう10年以上会っていない。おそらく街で会っても気づかないだろう。

父とはよく足の速さを競争した。
勝てたのか負けたのかは覚えていない。でも記憶では負けていたかった。そうして記憶を繋ぎ留めていたかった。また出会った時に気づくために。

そんな水彩画の様に繊細な父との記憶を、べっとりと色鮮やかで油絵のような濃い友との記憶で塗り潰す。人間を読み、厚ぼったく塗りたくられた絵具を剥がした結果、心の奥底には父が残っていたけど、しかし結局は人生にもがき苦しみ頼る場所は友だった。

僕は僕なりに僕としては生きていく。だけど、それを測る物差しは僕にとっては友だった。だから自然と足は宇都宮へと伸びた。

どんなに格好つけて文字を殴りつけても、きっと友には気づかれるのだろう。そして、それでも微笑んでくれるだろう。しかし、決して傷をつけてはならない。どんな状況であっても僕にとってはただ一つの大切なアンカーだから。

友とは、自分という存在を証明するための公式だ。僕があって友が存在するのではなく、友があって僕は生かされている。

友とは僕を作るための公式だ。そう定義する。



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