見出し画像

名前

今日は会議室に籠もって企画書を書き上げた。

テレビマンは基本的に放送作家さんと会議をして書いてもらったものに筆入れ(修正)する流れが一般的だが、僕はいつも自分で書いて作家さんにプレゼンをする。そして伝わりきらなかった部分やニュアンスを指摘してもらうことが多い。

今回は、僕が1本と作家さんに1本書いて頂いた。
書いてもらうのは非常に楽だった。客観視できるし、何より僕には無い視点があった。
が、出来上がった企画書と自分に距離を感じた。
書く作業は苦痛だ。それ故に作家さんに申し訳なかったし、僕が提案した企画だったのに、どこか他人な気がしてしまった。

一方、僕が書いた企画書は思っていたよりも早く書き上げられた。ここ最近文字数を増やして投稿をしていたことで考える種がいくつか転がっていた。

名が付く作品があるのは有難い。テレビは多くの人が関わる商売だ。担当としてVTRを作っていても声を掛けてもらったことは皆無だ。名のない作品。

この投稿は全部僕の名前が付いている。
僕を見に来てくれている。これは非常に有難い。

僕の言葉が好きだと言ってくれる人がいる。
わざわざコメントをくれる人もいるし、チラッとでも目を通してくれる人もいる。「見てるよ」と声を掛けてくれる人もいるし、僕に負けないぐらいの長文をLINEで返してくれる人もいる。「なんでフォローしてくれないの?」と言う人もいるし、「あれ、素面で書いてるの?凄いね。」と言う人もいれる。色んな人がいる。

これらすべてのリアクションが投稿しなければ起こらなかった出来事なんだ。届いてるんだ。
顔も名前も知らない他人にも届いている。
僕は歌手ではないし、芸人でもなくて、美しい歌詞を書けなければ、面白い話も書けないけど、でも自分の言葉で届けている。
荒いし、硬くて、痛いけど届けている。

イヤホンとマスクをして1人の世界に籠り、
パソコンに向かいまたカタカタと書き始める。

いつだって僕らを待ってる
疲れた痛みや傷だって
変わらないままの夜だって
歌い続けるよ
続けるよ

いつだって僕らを待ってる
まだ見えないままただ待ってる
だらしなくて弱い僕だって
歌い続けるよ
続けるよ

サカナクションのミュージックが突き刺さる。
山口一郎さんの難聴になってからメンバーに頼れるようになった。というエピソードが大好きだ。
深く深く心に刺さる音楽が生み出す。

僕もそんなお話が書けるようにスネの古傷を眺める。高校の時に友達に煽られ川に飛び込んだ。
真下には岩があってスネを流血した。慌てて友達が4人がかかりで両手両足を持って運んでくれたが目の前にアブが飛んできてすべて離された。
友達は全員逃げた。僕は浅瀬に落ちていった。浅い浅い話だ。
古傷はいつも決まって痒い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?