銀河鉄道の夜

今宵は綺麗だった。きっと美しい言葉に触れているからだろう。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を手にしている。

名作と共に名曲を口ずさむ。GOING STEADYだ。
僕の人生を解き明かすとゴイステは欠かせない。
おそらく彼らに入る印税の1000万分の1は、僕がカラオケで熱唱してきた時間だろう。それは今でも続き、僕の夜は更けていく。

峯田和伸を一度だけ生で見たことがある。それはラーメンズ片桐仁とエレキコミックが組むユニットエレ片のコントライブにトークゲストとして出演していた時だった。話していた内容は一切覚えていない。覚えているのは、峯田和伸が目の前にいると言う事実だけだ。格好が良すぎる話である。

改めて歌詞を読み返した。やっぱり素敵だった。全身全霊ですべてを旅行鞄に詰め込こみ無理やり駆け出すような疾走感で、どこかクラシックのようで、パンクで、ユーミンで、田舎っぽくて、それでいて都会っぽくて、紙芝居のようだけど、もちろんロックな、そう。空を飛ぶような感覚だろう。紛れもなく銀河鉄道の夜だった。

自分は自分でいいと思える。私服がまさにそうだろう。もっとオシャレになりたいと思うけど、結局は持ってる服で外を出るしかない。「なんでこんなコーディネートしかできないのだ。」と自分で自分を叱責しても、そのひとつひとつを選んだ私の服だ。責めようもない。体型もあれば、その時の思想も色濃く出る。生地から服を作れるはずもなく、世にあるものをかき集めて外に出るしかない。

それでも他人はそれを僕っぽいと言う。
それでもいいようだ。タイトルは宮沢賢治で、サビは松任谷由実でも、僕は峯田和伸が好きなんだ。

そして、友人は必ずこの曲を僕と一緒に歌いたがる。僕が歌う姿が好きなのだろう。僕も彼が歌う姿が好きだ。
それでもいいようだ。好きの形も服の数だけあるのだ。だから歌う。叫ぶ。その場に笑顔が溢れる。銀河のようなキラキラした夜が、僕にも見えた。

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