バスでのこと
その日の夕方、私は大阪に住む長女と京都観光を楽しんだ帰りの高速バスに乗って、うとうとと居眠りをしていた。
眠かった。
お目当てのスターバックス烏丸六角堂は、9時までにいかなければきっと混雑するに違いない。そう思って早起きして朝6時に家を出たのだから眠くて当たり前。その上、一日中京都の町を歩いたので、体はほどよい疲労感に包まれていた。
それでも、自分が降りる停留所の2つ手前で自然と目が覚めるのは習慣というか、寝過ごしてしまったらえらいめにあうという危機感というか、ちゃんと目が覚めた。
外はすっかり暗くなっていて、車中の電灯の明るさがまぶしかった。
ひとつ前の停留所で、誰かが降車ボタンを押した。
バスは緩やかに速度を落とし、やさしく止まる。バスの運転手さんはすごいなと思う。運転しながら、停留所の到着時間や発車時間を守るし、それでいて運転にも安心感がある。仕事やん、って言ってしまえばそれまでだけど、当たり前のことを当たり前にやってくれることほどすごいことはないと思う。
バスが止まると、リュックサックを背負った高校生くらいの青年が立ち上がった。この子が降りるのかぁと、ぼんやり彼を見ていると5千円札を出すのが見えた。
「あ、それはあかんで」心の中で叫ぶ。
高速バスで千円以上のお札の両替はできない。運転手さんが「5千円は両替できないんや」と言うと彼は「じゃあ」と1万円札を出した。
「え」あきれた。5千円があかんかったら、1万円もあかんのがわからんのかーと、心の中で突っ込む。
運転手さんの「1万円もできないよ」と言う困惑した声が聞こえた。そりゃあそうだろう。
私がお財布に千円札あったかなーと見ようとしたその時、一番前の席の女性がすっと動くのが見えた。(私は前から2番目だった)
「わたし、千円札5枚やったらあるよ」
早かった。記憶を思い起こせばこの女性は、彼が5千円札を出したその瞬間から自分の財布を出していた。
「ありがとうございます」
青年が少し恥ずかしそうに5千円札を女性に渡す。
「数えてね」
女性は青年にそう声をかけた。
青年が料金箱に料金を入れてバスを降りる。
運転手さんが振り向いて女性に「ありがとうございます」と言った。
それだけのことだ。
でも、今日このバスに乗らなかったら見ることができなかった景色で、聞くことのできなかった会話。小さな小さな物語に、心が動いたような気がした。何か物語が生まれそうな予感がした。
そして、次が降りる停留所だということをすっかり忘れてしまったのである。
「次は〇〇ー」
降車停留所を告げるアナウンスで「はっ」と我に返り、通過ぎりぎりで降車ボタンを押した。危なかった。
夢からさめたような、ふらふらした足取りでバス降りた。ほっと一息ついて高速道路から出るドアに手をかけて、ふと「あれ? 誰も続いて降りてこないのに、バスが出発しない」と気づく。バスは、わたしが高速道路から駐車場に続く扉を開けて閉めるまで止まったままだった。
見守るように足元を照らしてくれているように思ったのは、気のせいではないと思う。
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