ツインレイだからどうだっていうんだい?
ツインレイの記事をよく目にする。よく耳にする。自分たちがツインレイかどうかに躍起になっている人もいる。かく言う私自身、私と彼はツインレイなんじゃないか?と思ったことさえあるし、その気持ちよさも理解しているつもり。ツインレイって恋愛中の人たちにとっては超魅惑的な言葉だから。
しかし実際のところ、ツインレイだからってどうだっていうんだ!?
ツインレイであろうとツインレイで無かろうと、やるべきことは同じじゃないか。
相手に映る自分を観て、自分の内側を観察する。相手が見せてくれる自分の傷を癒していく。
結局、相手がツインレイであろうとなかろうと、やるべきことは相手が見せてくれる自分を癒していくことだけだ。
私たちは自分で自分が見えない。だから他人がいる。その相手はツインレイであろうなかろうと、私の内側を見せてくれる大切な他人だ。
この世界はすべて源からできていて、私たちは源の一部。私もあなたも彼も彼女も上司も部下も親も兄弟もお隣のおばちゃんもコンビニの店員さんも犬も猫も木も草も花も大地もプラスチックも食品添加物も農薬も原発だって、私と同じ源からできていて、私たちはすべて同じもの。私たちは愛なんだ。
だからとりわけツインレイだけに意味を求めるのは意味がなくて、それでもツインレイにしがみつきたいのは私と彼との間に特別な意味を持たせたいエゴの働きだと思ってる。恋に溺れているとツインレイビジネスに飛びつきたくなる気持ちもよく分かるけれど、そもそも「ブロック外しでたった3ヶ月で統合!」とか「6ヶ月でツイン男性と出会えました」とか意味わからなくない?
自分の闇を観て自分を癒していくプロセスを統合というならば、それは生涯をかけてやっていくもので、誰かに手伝ってもらって一足飛びにできるもんじゃない。地味に地道に、時間をかけて向き合っていくもので、ツインレイに出逢えたからサイレント期間を乗り越えて統合してめでたしめでたしっておとぎばなしからはそろそろ目を醒していたいよね。
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