智恵

昨年(2022)突然夫との死別を経験し、 泥沼から這い上がる最中。 自分を取り戻してい…

智恵

昨年(2022)突然夫との死別を経験し、 泥沼から這い上がる最中。 自分を取り戻していくプロセスを綴ります。 文章を書いて生きていきたい!

最近の記事

ツインレイだからどうだっていうんだい?

ツインレイの記事をよく目にする。よく耳にする。自分たちがツインレイかどうかに躍起になっている人もいる。かく言う私自身、私と彼はツインレイなんじゃないか?と思ったことさえあるし、その気持ちよさも理解しているつもり。ツインレイって恋愛中の人たちにとっては超魅惑的な言葉だから。 しかし実際のところ、ツインレイだからってどうだっていうんだ!? ツインレイであろうとツインレイで無かろうと、やるべきことは同じじゃないか。 相手に映る自分を観て、自分の内側を観察する。相手が見せてくれ

    • 「夫の死」という共通項だけでは何も分かり合えない

      夫が亡くなったとインスタで報告した時、たくさんのDMをもらった。 当時はインスタでビジネスを頑張っていた時だったので、それを中止するために夫の死も報告したのだった。 DMの中には「わたしも夫を亡くしました」というものが多くて、でもそれはわたしの心をまったく温めないものだった。 なぜならその人たちとわたしの状況は全然違ったから。 最愛の夫を亡くして悲しみに暮れる人と、離婚したくてしたくてたまらなかった夫を亡くしたわたしが分かり合えるはずもない。 しかしそんなことを言え

      • お金の不安と対峙して気付いたこと

        2年前、夫が亡くなって わたしはパートを辞め 自分の癒しに全力をかけた というか苦しすぎて働けなかった 生きるだけで精一杯だった 幸い遺族年金と民間の保険金がもらえたし 持ち家の家賃も無くなったので 当面の生活はなんとかなった でもわたしまったく節約しないから笑 癒しという名のもとに 湯水のようにお金をじゃんじゃか使って 貯金残高はみるみる減っていった そこを薄目で見ながら でも、できるだけ直視しないように生きてきた 本来なら 夫を亡くしてまだお金のかかる子供がふたり

        • これから本気で文章を書こうと思う

          わたしが誰にも頼まれていないのに 毎日やってしまうこと それは「文章を書くこと」 これだけはやめられない 誰のためでもなく自分のために やらずにはいられないこと 自分の本当に好きなことと向き合うのは怖い 自分のド真ん中で勝負するのは怖いんだ 何の目的もないから気楽に続けていられる 誰にも頼まれていないからやりたいと思える でもお金の不安と向き合ったとき これから真剣に取り組んでいくのはここだった 向き合っていくのはここなんだ わたしは文章で生活したいんだ せっか

        ツインレイだからどうだっていうんだい?

          わたしと母はウマが合わない

          わたしと母はウマが合わない そして妹と母はウマが合う 母はわたしの 繊細すぎて神経質で、 病弱でコミュ障で学校でうまくやれなくて 真面目すぎて融通がきかなくて でも内弁慶で家では強気で 正論で母を論破するところを嫌っていた (母は強く言われると うまく反論できないタイプの人だった) 反対に、妹のこだわりすぎず なんでも適当にこなせて お友だちも多くて面白くてユーモアがあって 母の機嫌をとって 進んでお手伝いするところが 可愛かったのだと思う (そりゃそうだ) わたしは母

          わたしと母はウマが合わない

          虫籠の中のわたし

          小さな虫籠の中に囚われていて その中には蜘蛛が巣を張り巡らせている わたしはその中で暮らす蝶で 外に出ることはできない 蜘蛛の巣はあらゆるところに張り巡らされていて 素敵な色な魅力的な匂いでわたしを誘惑する わたしは本能的に知っている あそこへ行ってはいけないと でもこの狭い閉じられた世界の中で 四六時中恐怖と対峙することに疲れ果ててしまう わたしは心の声を閉ざし お腹の中で鳴り響く警告を無視することにする 蜘蛛の甘い言葉に誘われて 蜘蛛の巣のベッドに横たわる

          虫籠の中のわたし

          愛と執着は似て非なるもの

          執着と愛を区別できている人は いったいどれくらいいるのだろう 執着のない純粋な愛を発露できる人など ほとんどいないのではないか (おそらくマザーテレサとか ダライ・ラマのレベルだよね) わたしはこの世で愛と呼ばれるほとんどは 執着でできているのではないか、とさえ思ってきてる それでも自分の中にはびこる 執着に気付いていようとする、 その試み自体がとても大切なのではないか 何度も執着する自分に気付いて 何度でも負け続ける それでも自分の中にある愛と 執着に気付いてい

          愛と執着は似て非なるもの

          失敗なんてない、AとBという経験があるだけ

          良いも悪いも 正しいも間違いも 失敗も成功もない ただAとBという経験があるだけ そこに判断を下して 意味をつけてるのはわたし そんなものはいらなかった そもそも わたしたちは選んでない 選べない それを選ぶことは最初から決まってた すべての責任は 全体が負ってくれている だからわたしたちは 安心して体験すればいい しっかり味わって 手放せばいい いつだって安心の中で くつろいでいればいい

          失敗なんてない、AとBという経験があるだけ

          ドーパミン的快楽と依存症のはじまりを体験して

          ドーパミンはドラッグだな🧪 過度なドーパミンは脳に強く影響して 脳は何度も何度もその快楽を求める 快楽に執着していく それこそが依存症のはじまり その仕組みをこのからだで体験して その強い衝動に戦慄してる もしもわたしが思考と自分との間に スペースを持っていなかったら 瞬く間に飲まれて 依存症まっしぐらだっただろう いや、今のわたしをもってしても この強い欲求はかなり抗い難いものだった この強い快楽、ドーパミン的歓びは 確かにわたしが求めたもの わたしは強い歓びを

          ドーパミン的快楽と依存症のはじまりを体験して

          不安を改めて感じてみる

          わたしが吹き飛ばされることも すでに決まっていたこと 安心の感覚を知って そこから遠く吹き飛んで 不安を改めて知る 毎日が不安だったときには分からなかった 「不安」が今ならよく見える 今が感じられなくて 過去が忌まわしくて 未来が怖くてたまらない 自分の真ん中に どうやっても戻ってこれない そうそう、この感覚 これに飲み込まれたら 生きていくことが嫌になる 未来と過去で頭がいっぱいで忙しい それを紛らわせるために 暴飲暴食 エンドレスYouTube 頭に知識を入れ

          不安を改めて感じてみる

          気持ち悪いを味わいなおすとき

          わたしは「気持ち悪い」が怖かった 「気持ち悪い」を感じると ある記憶が蘇る それを絶対に思い出したくなかった だから「気持ち悪い」から逃げて 「気持ちいい」の探究に走った 心地よい、うれしい 楽しい、よろこびが込み上げる そんな「気持ちいい」感情を 普段から味わうようにしていくと 少しずつからだが感覚を 拾いやすくなってきた 感度が上がってきたんだ 感度が上がってくるということは 「気持ちよい」を前よりも 深く味わえるとともに 当たり前だけど 「気持ち悪い」も

          気持ち悪いを味わいなおすとき

          思考はコントロールできない

          本当にビックリするんだけど 「思考」って勝手に起こってるんよ 私たちには一切操作できないの。 まるで“自分が”考えてるって思うじゃん? でもよくよく見てみて。 全体から勝手に湧いてくるから。 だからコントロールも一切できないんよ。 そしていつだって私たちを恐怖に陥れてくる。 罪悪感をこれでもかと植え付けてくる。 良くも悪くも「思考」ってそういう役割なんよね。 だから「思考」と一体化してると 苦しくてたまらないんよ。 どこまでも苦しみの沼にハマっていく。 ものすごいリ

          思考はコントロールできない

          かなしみを握りしめない

          どんなにかなしいなと思っても 身体に意識を向けてみて。 お腹の中を感じたり 息をしたり 音を聴いたり 身体に手を当ててみたり。 事実は寸分違わずそこにあって 何も起こってない。 本当に静寂 かなしみは、 わたしの心の中だけにあると気付く。 かなしみを握りしめないで ふわっと空間に放ってみて それはゆっくりと溶けてなくなる それはあっていいけれど ずっと見張ってないでいいの 握りしめないでいいの その辺に置いといて 身体とひたすら関わってみて。 とても安心

          かなしみを握りしめない

          わたしには誰も救えない

          元夫は心の病だった。 どうやって治せばいいか分からなかった。 あの時いったいどうすればよかったのか その答えを知りたくてここまで来た。 こんなに勉強して こんなに自分の内面と向き合って こんなに自分の身体と向き合って ようやくここまで辿り着いた。 わたしなりの答えを手に入れた。 それなのに!! けっきょく目の前の苦しんでいる人を わたしは助けられない。 救うことはできないんだ。 こんなにたくさんの答えを持っているのに その人を目の前にすれば どれも全然役に立たない。

          わたしには誰も救えない

          身体の明晰さを信じる

          身体で受けとる情報は 頭で受けとる情報を遥かに超える。 だから身体だけが分かっていて 頭には理解できないことがたくさんあるんだ。 でも私たちは頭で理解したい生き物。 頭で納得してそれに言葉を授けたい。 今までの刷り込みで それがあるべき姿だと思い込んできた。 でもさ、 身体の感じたことを そのまま信じることもできるんだよ。 言語化できなくて不安で、頭が納得しなくて、 何やってるのか自分で自分がわからなくなっても それでも身体の受けとったものを 信じて突き進んでみる。

          身体の明晰さを信じる

          性のことは秘すれば華!!?

          性に関することは秘すれば華です と声高らかに私に宣言した女性がいた。 その方は性の問題は外で語るものではないという信念を持っていて、性の問題を外で語るわたしをハシタナイと糾弾したかったのだろう。 ではなぜ性の問題を外で語ってはいけないのだろう? みんなセックスしてる。めちゃめちゃしてる。恋人がいたり結婚していたりすればだいたいセックスを経験してる。 人間ならばセックスをしたいのは当然の欲求で、それは食欲、睡眠欲と並ぶ人間の3大欲求だとみんな知ってる。 その3大欲求

          性のことは秘すれば華!!?