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「ながら」をやめてみた

今日は「ながら」を止める日だった。

いつからだろう「ながら」が通常運転になったのは‥‥。やはりスマホを持ってからだろうか。食器を洗いながらYouTubeを聞いて、ご飯を食べながらNetflixを見て、洗濯物畳みながらインスタライブ聞いて‥‥。便利で面白いツールがありすぎて、家事と食事は基本すべて「ながら」、ほんの少しの隙間も埋めてしまう。

でもさ、本当は気付いてた。「ながら」は結局どちらにも集中できないし、ずっと小さくイライラしていることに。

食器を洗いながらYouTubeを聞いていて、子供に話しかけられた日には(ほぼ毎日)、全てが雑音と化してイライラ〜って身体に電気が走るのが分かる笑

「ながら」をすることで、時間を有効活用しているつもりでいたけれど、実際にはいつだって上の空で今に集中できていなくて、逆に時間を無駄にしてきたのかもしれない。

私たちに必要なことはこれ以上知識を詰め込むことじゃない。むしろ大切なのは、すべてを明け渡して空っぽになることだ。常に身体の感覚に集中して五感を研ぎ澄ませて今に留まること。常にマインドフルでいること、それ以上に大切なことってないんだ。

「ながら」はまさにそれと対極にあること。今日実際に「ながら」をやめてみて、食器を洗うときには食器を洗うことだけに集中、食事をする時には食事をすることだけに集中、猫と犬とゴロゴロする時にはゴロゴロすることだけに集中、というのを1日徹底してみた。

そうしたらね、動画見る暇なんてないんだよ。YouTubeもNetflixも見なくても、隙間なく一日が終わった。

そう、今に集中していたら隙間なんてないんだよ。ちゃんと五感をフルで感じて今やっていることに集中していったら暇なんてないんだ。作業に動画も音声も必要なかった。ただ癖になって惰性で聞いたり見たりしていただけだった。

よく考えたら、そもそも動画を見る必要もなかったんだ。いつも何かに追われているように生活してきたけど、本当は何にも追われてなかった。焦っていたのは私が「今」にいなかったからだ。

これからしばらく「ながら」をやめてみよう。自分がどう変化するのか実験してみます。

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