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自分に合った作風を探す(何のためにするのか編)

昨日はさすがに休んだ。

このところ、季節の変わり目が要因だとおもうのだが、うまく寝れない日が続いた。
色々試してみようとおもい、とりあえず先輩とわたしの布団の位置を交換して窓際から離れようとおもっていたのだが、もうひとつ。

この頃恐ろしい勢いで試行錯誤していたせいで、やたらアドレナリンが放出されているのでは…興奮状態で寝れてないのでは…とおもったので、一度休もうとおもったのだ。

というのもわたし、あまりにも後回しぐせがついているために、今は勢いで向き合えているが一度でも立ち止まったら終わる…!!という恐怖心があった。

でも、休んだ。
健康のほうが大事だから。
そして、なんかぐだっとした感じでも、また歩き出そうか…とおもい、この文章を書いている。

フォントの件について「わたしは手書きのほうが好きです」というご意見もいただいた。
とても嬉しかった。
仕方ないことなのだが、完全に客観性を失ったまま突っ走っているので、ちがう目線の意見をいただくと、なんか少しフラットになれる気がする。

『XなどのSNSで目に留まりやすいこと』を目的にするなら、カラーのほうが、フォントのほうが読みやすいのかもしれない。
でも、それを目的にしてていいのかな?とふと思った。
わたしがそれをいったんの目的に据えたのは、たぶん一番が好奇心だ。
一番利用しているSNSがX(旧Twitter)で、いろんなマンガを見ながら、ふと沸いた疑問に、仮説に、試してみたいな…とおもった。
あと基本として、『わたしのかいたものを好きになってくれそうな人に届くといいな』とは思っている。
だから、その試行錯誤はする価値があるとおもったのだ。

しかし、わたしは他にもやってみたいことがある。
●紙の同人誌つくってみたい。
(ごく少数のコピー本はつくったことがあるのだが、ちゃんと製本されたやつつくってみたい…マンガでなくてもいい)
●電子書籍で配信してみたい。
(過去に書いた4コマとか黒猫とかもまとめてみたい)

その目的に応じて、それぞれ適する表現手段は変わってくるのかなと思った。
フルカラーの本なんて、価格高くなりすぎる。
電子書籍にするなら、写植は入ってたほうが読みやすい気がする。(そんなこともないか?)
でも、それぞれに応じて表現手段を変える余力なんてあるんだろうか。

…などと、考えてたらよくわからなくなってきた。
思考回路がショートしかけている。
これはよくない兆候だ。
もうすべてを後回しにしたくなってきた。

でも、ふと、後回しにしてもいいのかもしれないとおもった。
わたしが今回のことでやりたかったのは、実際に色々やってみてその上で迷うことだ。
その過程も記事で形にして、コメントをもらったら、それを自分のなかで響かせる。

しかし、最終的に全部やらなくていいし、今の自分のままでもいいのだ。
(紙に手書きで4コマを描き、写真を撮ってアップする、その手軽さよ)(その手軽さをバカにしなくてもよい)(だって長いこと描けていなかったんだ!)

やってみたことは残るとおもうし、やり方はわかるようになってるし、わたしの『できること』はほんの少し拡張される。
それでいいんじゃないか。
少なくとも今は。
だって誰にも決定を求められてない。
わたしにしか影響しない、やってもやらなくてもいいことなんだから。

何かを無理に決めようとして足を止めてしまうぐらいなら、何も決めずに、試行錯誤だけ重ねていくほうがよい。
毎回やることちがくてもよいし。
全部無駄になってもいいし。
だけど無駄にならないし。

そんなふうに思ったら、やろう!という気持ちになってきた。
わたしにとって『決めること』はそれだけ重く、『実際に試すこと』のほうがハードルが低い。
試していくうちに自然とわかっていくこともあるはずだ。
そういうのを『目的』とか『ゴール』じゃなくて、『ラッキー!』と感じるぐらいのテンションでやっていけたらいいんじゃないか。


そのように思う今日この頃です。
ヘッダー画像は最近芋掘りに行ったので、その芋。秋晴れの気持ちいい日でした。

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