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わたしが知らない宝物

春になる前のこと。
いつも公園で遊んでたふうか氏の友達が私立小に行くのだと聞いたとき、結構衝撃を受けた。
元々同じ小学校に行くわけでもなかったし、そのことについてはへー!そうなんだー!という感想でしかなかったのだが、その選択肢がそもそも頭になかったというのが衝撃だった。
家に帰ってから携帯で『私立小』について今更調べた。
そもそも金銭的にそんな余裕もない。まず本人を見てもそこまで勉強が好きというわけでもなく放課後友だちと遊びまわるほうを好みそうだし、親であるわたしがちゃんとしている人たちの中で浮いてしまいそうだし(ちゃんとしようとすると疲れそうだし)、教育について現段階でそんなこだわりもない。
ある程度調べきり、うん、やっぱりうちはこちらの道をいかなくていいな…と思って携帯を閉じたのだが、たぶんわたしがこのとき衝撃で不安になったのは、『わたしが思いつかないというだけで、子どもが本来適している選択肢を選び損ねる』ことについてだったように思う。

全然話は変わるんだけども。
わたし、ふうか氏に対して、こういう習い事をさせたいという願望は一切ない。
生まれる前も生まれた後も、もう少し大きくなってからも、「どんな習い事させたいとかある?」って聞かれたことあるのだが、ピンとこなかった。
だってまだその子が何を好きかもわからない。
不思議なこと聞くなぁ…ぐらいにおもってたんだが、幼稚園や保育園ぐらいになると、親がおすすめして習い事をしてるパターンはよくあることを知った。
親である自分が昔あの習い事ができなくて悔しい思いをしたからとか、この年頃でやっておいたほうがいいからとか。
わたしはそれを見て、正直、親である自分と子どもをまぜこぜにしてるんじゃないか?と思ってたのだが、最近、気づいた。

そもそもこう思うようになったのは、わたし自身の経験からなのだ。

わたしは昔10年ほどピアノをやっていたのだが、これは母さんが昔自分がやりたくてやれないのが残念だったからというのがはじまりだった。
しかし、わたしはまったくコツコツした練習が好きじゃなく、家での練習をさぼりまくるのは日常茶飯事。ノー練習でのぞんで先生をよく困らせた。
母さんに家で「弾いてみせて〜」と言われて恥ずかしいから「嫌だ」と言ったら、「なんのために習わせてるのか分からない」と返され、「なんで?わたし、お母さんに聞かせるためにピアノ習ってんの?」とほんとうに素朴な疑問を感じて言ったことが、母さんに精神的右ストレートを食らわせたようで、後々あのときははっとしたわ〜と話してくれたことがある。
ピアノを習っててよかったこともある。ドキドキしながらのぞんだ発表会の思い出とか、エリーゼのためにとかトルコ行進曲とかそういうザ・ピアノという曲もいちおう弾けるようになったこととか、今でも流行りの歌を聞けばなんとなくメロディの簡単な音符がわかることとか。あと純粋に、弾けるようになればピアノを弾くのは楽しくて気持ちいい。
けど、同時に、なんでピアノ習ってるんだろう??なんでピアノなんだろう??とずっと思っていた。やめるほどには嫌いじゃなかったし、先生が好きだったから続けていたけど、結局趣味でつづけるほどには自分の意思で好きじゃないから、ふうか氏が生まれて昔使ってたキーボードを持ってきて触れるようになるまで、ほんとーにまったく、触らなかった。
それがわたしにとっての習い事だった。
だから、わたしは、親の意思で子どもに習い事をさせることにあんまり意味ないな…とおもってきたんだとおもう。

でも、多分おんなじような記憶を持ちながらも、親に感謝しているひとはいるんだろうなと、ほんとうに今さらなんだが最近おもい始めた。あのとき習わせてくれてありがとうって思ってるひと。
そういうひとは、子どもにも習い事をさせようとおもうのかなって。プレゼントみたいな感じで。

で、何が言いたいのかと言うと、結局わたしは自分の思い出というフィルターをもとに考えてるんだなーと自覚してしまったのだった。

わたしは小学校時代、めちゃめちゃ楽しかった。(もちろん楽しくないときも悲しいときもそりゃあったが。なんなら隣のクラスが学級崩壊したりもしていたが)
何が楽しかったって、放課後に友達と遊びまくったのが楽しかった。それしかない。玄関でランドセルほうりなげて、すぐにいつも外に出かけた。
秘密基地つくって遊んだのが、ずっとずっと忘れられない、特別な時間だった。
正直、小学校でいすに座っていた時間のことをほとんど覚えていない。
勉強もそこそこおもしろいと感じるタイプだったので、ちゃんと授業は受けていたしそこそこ成績もよかったが、ぽつぽつとエピソードが思い浮かぶぐらいで、あんまり小学校のなかでの思い出はわたしには重要でなかったんだとおもう。
泥団子を高学年でもつくってて、あそこの土を使うと磨いたとき輝く……と遠征し、『真の泥団子なら割れないはずだ』と階段から落とした。割れたら、努力が、何かが足りなかったのだ…と話し合った。アホだった。でも、それがわたしの幸福だった。
だから、わたしは、こんなご時世だけどなるべく放課後遊びがしやすいような環境に行かせてあげたいな…というのを、引っ越し先を考えるうえで大事な要素として扱っていた。

でも、これって、完全に『習い事習ってよかったから、子どもにも習わせてあげよう』という流れと一緒だよなって。
まあ、でもいちおう、ふうか氏自身を見て、すごく公園遊びや友達と遊ぶことが好きで、自分でいろいろを決めるのが好きだっていうのを見ているから、おもうことなんだけど。

結局こう、自分フィルターは取れないんだよなって。わたしが知る範囲でしか、思うことのできない部分があって、それによって、世界を見ている。
でも、それをすべてだって思い込んじゃあいけないなって、すごい思う。
たとえば、もしわたし自身が全然送ってきた人生とはべつの道を歩んできたとして、それはそれでそこで宝物を見つけたはずなんだよなって。
で、その結果おもうことはきっとあったはずなんだよなと。

何が言いたいか伝わるだろうか。
結局わたしは、わたしのフィルターごしに、色々おもっていくんだけど、それを唯一の真実みたいに思わずにいたいなというのと。
やっぱり目の前のふうか氏を見て、結局わたしとふうか氏は別人なので、この子にとってはどうなんだろう…という視点を忘れずにいたいなとおもう。
そして、ふうか氏がわたしとまったくちがう道を選ぶことになったときにこそ、今日書いたことを思い出してほしい。
わたしが知らない宝物が、そこにあるのかもよって。

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