2016年5月の下書きnote

「やりたいこと」「できること」「求められること」がそれぞれ重ならない部分でもやる時期は絶対に必要だとおもう。
なぜならなんとなく思ってる時のそれらは、本当のそれらじゃないから。
なんとなく思ってる「やりたいこと」は、実は「やりたいこと」じゃなかったりするし、
なんとなく思ってる「できること」のほかにも「できること」はあるし、
なんとなく思ってる「求められること」はべつにそんなに「求められること」じゃなかったりする。
本当のことは、ある程度やってみないとわからない。
やった分だけ、本当に重なる部分の精度があがる。深さも密度もあがる。だから、最初から重なる部分ばかり狙って「無駄な時間」を送らないようにっていうのは、ちがうんだとおもう。
その遠回りがあったひとしか、たぶん、たどり着けないんじゃないかっておもう。

思いっきりやりたいことをやるべきだと思ってるから、今わたしはやってる。
たぶん思いっきりやった後じゃないと、中途半端にずっと自分だけがやりたいことを追ってしまうから。
いつまでも「できること」より「やりたいこと」の順位の方が高くなってしまうからだ。
「求められること」に「応えること」をばかにしてしまうからだ。


☆ ☆ ☆


ここで終わりになっている。5年前か……。
このときは思いっきりやってたんだな、というのと。
そして、今は?中途半端に自分だけがやりたいことを追っていないか?と言われたら、追ってる気がする~~というのと。
最後の二文が痛い……というのと。
最近の思うところも言葉にしておきたい、というのと。
このときよりみっともなくなってしまった気がするなーというのと。
それでも道の先にいるのだということ、まだ道の途中だということ。

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