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瞳湖のよしなし事 #1 3

ある日、ふいに思った。

私は、自分のことを肯定していないのではないか? と。
正確には、”まだ・・肯定しきっていない” ということになるのかな?

あれこれとやりたい事とやるべき事があって、一度に全部やれる筈はなくモヤモヤが募り、考え事をするとついネガティブに傾いてしまっていたからか。

10代の頃は、自信はあまりない子どもだったな・・・でもだから努力もし、落ち着いて多角的に考えることを心掛けた。
努力したことや、「経験を重ねてここまで来られた」という想いが少しずつ ” 自信 ”になっていった。

と考えていた筈なのに。

急に反転して、冒頭のように ” まだ・・肯定しきっていないのか? ”
になってしまった。

なんで ?!  と思いつつも、深呼吸・・・少し間を置いて・・・

ふと、家族に尋ねてみようと思いついた。  
(家族から見て) 私は自己肯定感が高い方と思うか、低い方だと思うか、と。

「・・・どちらかといえば低い方かな。とても低いという訳じゃなくて、どちらかといえばね」という答え。

「何か抑えつけているような、我慢しているのではないかな、と思うことがある」
「もっと自由にやりたいことやればいいんじゃないかな」

・・・後の2つの言葉は、ちょっと意外な答えだった。

そういえば。
「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」とは言われてたな。
下の子の面倒を見るのは当たり前で、我慢することも普通だった。

それが今も変わってないということ?
納得する部分もあるけれど、それだけではない気もする。

完璧主義も一因かな? 完璧主義はなるべく手放そうとしてきたけれど、まだ残っているのかな? 

せっかちなことも大きな要因と思える。(ああ、この矛盾した性質・・・)
やるべき事はなるべく早く終わらせたいと思うが故に、それができずにモヤモヤが募る。

でも。そうだね、自由にやりたい事を。 


視点を変えて見れば、ふいに出た疑問は、今の私を再確認するきっかけをくれるものだった。

それに、家族に質問するきっかけでもあった。
そんなことを考えていたのかと、新鮮な驚きだったし、背中を押してくれる言葉だった。

全てがトントン拍子に、思い通りに進む訳はないけれど、それでもなんだか気持ちが軽くなったよ。ありがとうね。 


やるべき事リストに挙げた中から、できることを1つ。
よしやったぞ、と思う。

やりたい事リストからも1つ選んでする。日によってはもう1つ。
ちょっと嬉しくなる。

どちらもやる気が起きなくて遊んでしまった日も、「遊んでしまった」じゃなくて「ああ楽しかった。良い気分転換になった」で、翌日からまた取り組む。

それでいいのだ。




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