見出し画像

ゲノム研究の新たな道 ―微生物1細胞ゲノム解析用「AGM™試薬キット」の可能性

2022年12月時点の内容です

生物の持つ遺伝情報、ゲノム。そのゲノム解析(1細胞ゲノム解析)のための新たな手法として東陽テクニカが発売する「AGM™(アガロースゲル・マイクロカプセル)試薬キット」の使用について、国立大学法人東京工業大学 生命理工学院 教授の本郷裕一氏よりお話を伺いました。AGMの作製技術は、国立研究開発法人理化学研究所によって研究開発されたもので、本郷氏も研究開発に参加されているほか、ユーザーとして「AGM™試薬キット」をご使用いただいています。

まずは本郷氏のバックグラウンドや近年のゲノム解析事情、1細胞ゲノム解析(シングルセルゲノミクス)とメタゲノム解析(メタゲノミクス)の違いなどに触れ、その後「AGM™試薬キット」の特徴やメリット、本郷氏が考えるAGMの今後の展望をご紹介します。

【インタビュアー】
小森研治
(株式会社東陽テクニカ ワン・テクノロジーズ・カンパニー インキュベーションユニット 課長)


虫取り網から次世代DNAシーケンサーへ
―「虫屋」本郷裕一氏

東京工業大学生命理工学院について教えてください。

東京工業大学生命理工学院は生物学・化学・物理学など多様なバックグラウンドを持つ教員が在籍し、60以上の研究室が存在する、生命科学分野としては国内最大級の学部・大学院です。分子生物学・タンパク質工学・遺伝子工学・微生物学などから、有機化学・生物物理学・バイオインフォマティクスなどにいたるまで、多岐にわたる生命科学分野の研究が行われています。

本郷教授の研究テーマや研究の道に進まれたきっかけについてお聞かせいただけますか。

私は先天的に虫が好きで、業界用語で「虫屋」と言います。子供の頃から虫を観察していて、気がついたら今でも同じことをやっている感じですね。道具が虫取り網からマイクロマニピュレーターや次世代DNAシーケンサーになっただけです。大学では、昆虫に共生する微生物を研究していましたが、そこから今は微生物を専門としています。

現在の主な研究対象はシロアリとその腸内微生物です。特に、数百種類もいる腸内微生物同士の共生関係に興味を持っています。シロアリは木材だけを食べて繁殖するユニークな動物ですが、木材の消化の大部分を腸内微生物が担っています。その微生物はシロアリの腸内のみに見られる系統群で、シロアリも腸内微生物同士も1億5,000万年以上にわたって共生関係を続けています。私はその複雑な共生メカニズムを最先端のツールを使って読み解こうとしています。

生命の設計図を読み解くゲノム解析
―昨今の状況・1細胞の微生物ゲノム解析

ゲノム解析の必要性とは?

遺伝子全体を「ゲノム」と呼びますが、それは生命の設計図でもあります。そのゲノムを解読することは、まさに生命の仕組みを読み解くことにほかなりません。知的好奇心を満たすためだけではなく、ヒトの病気のメカニズム解明や病原菌の感染メカニズムなどの理解をするためにもゲノム配列をベースに研究するのが当然の時代となっています。シロアリにおいては、腸内微生物が持つ木質分解酵素などのさまざまな有用遺伝子を探索するうえでゲノム解析が重要です。

図1:シロアリ腸内原生生物と2種の細胞内共生細菌(本郷氏提供)

近年のゲノム解析技術の進歩について教えてください。

2000年代初期はゲノム配列を取得するコストが非常に大きいことから、ごく一部の研究者や研究機関しか実施できなかったため、解析対象もマウスなどのモデル生物から優先的に解読せざるを得ませんでした。

それが2000年代後半に次世代シーケンサー(従来型よりも高速かつ低コストで多くのDNAを解析できる装置)が登場し、比較的低コストでゲノム配列の取得が可能となりました。特に2010年代以後は、さらに低コストで高性能なシーケンサーが普及し、これによりモデル生物だけではなく多くの生物をゲノム解析の対象とできるようになりました。

動植物などの真核生物はゲノムサイズが大きいので現在でも解読は難しいのですが、バクテリアのゲノム解析であれば比較的容易にできるようになっています。

1細胞ゲノム解析とメタゲノム解析について教えてください。

次世代シーケンサーが登場したゲノミクスの時代にあっても難しかったことが、培養できない微生物の研究です。

培養できないあるいは難しい微生物は決して特殊なものではありません。むしろ、大腸菌や枯草菌、酵母など培養法が確立している微生物種の方が割合として全体の1%以下と非常に少ないです。

ゲノム配列の取得にはできればマイクログラム、少なくともナノグラム以上のDNA量が必要なので、純粋培養ができないと微生物のゲノム解析は物理的に不可能でした。そこでまず編み出された手法の一つが「メタゲノミクス」です。メタゲノミクスは環境中の微生物群集すべてのDNAを抽出して断片化し、それらの配列をできるだけ多く網羅的に取得することで群集全体としての機能を予測するものです。

しかし、この手法では、すべてのDNAを断片にして混ざったものを読むので群集全体のゲノムはわかっても、群集に含まれる個々の微生物種のゲノム配列を再構築することはできませんでした。

「シングルセルゲノミクス」とはその後に考案された手法です。メタゲノミクスとの違いは、はじめに物理的に細胞を分けてそこから出てくるDNAを見るため、どの生物種のゲノムか確実にわかるという点です。実際の手法としては、微生物細胞をマイクロマニピュレーターやセルソーターなどで物理的に単離し、Phi29というバクテリオファージ由来のDNAポリメラーゼを用いて「全ゲノム増幅」することでゲノム配列の取得を可能とします。

環境微生物を扱う分野では、この「シングルセルゲノミクス」と「メタゲノミクス」の2つの手法によって研究成果が爆発的に増え、研究者人口も大幅に増加しました。

1細胞ゲノム解析の新たな手法
―「AGM™試薬キット」について

ここからは、シングルセルゲノミクスをサポートする「AGM™試薬キット」を本郷氏が使用された感想や、今後の展望などについて紹介します。

「AGM™試薬キット」はゲノム解析にどう役立っていますか。従来までの方法との比較や、コスト面も含めてご教示ください。

図2:「AGM™試薬キット」

「AGM™試薬キット」の最大の長所は、大きな装置が必要なく、操作が簡単で職人芸的な技術は必要ない点です。まだ操作手順を改良する余地はありますが、練習すれば学生でもシングルセルゲノミクスを実行できます。

「AGM™試薬キット」を使えば、従来のように、購入に数千万円が必要な蛍光セルソーター(FACS:バクテリアを1細胞ずつ分け取る装置)や、作製に機械系の知識が必要なマイクロ流路デバイスなど、一般的な微生物研究者が入手困難なものを用いる必要がありません。

FACSは普段iPS細胞などの医学系研究で使用されることが多く、それを微生物研究のために使用させてもらうのは難しいです。そのため、微生物研究用として個々で購入する必要がありましたが、これを「AGM™試薬キット」のような使い捨てのキットで代替できる点は魅力です。

マイクロ流路デバイス作製については機械系の研究者と連携できれば可能ですが、そうでない場合は微生物研究者の多くが持ち得ない精密加工の専門的な知識・技術が必要となります。AGMを使用した場合でも特別な装置としてマイクロマニピュレーターだけは必要となりますが、これは普通の研究者であっても購入が可能な範囲と言えます。

全ゲノム増幅試薬や配列解析などゲノム解析に関係するコストは従来通り必要なものの、FACSのような特別な装置は不要、また、「AGM™試薬キット」を構成する主な試薬は生物系の実験において一般的な部類のものであるため、解析に必要なゲノムを取得するコストは通常の生物学・化学実験にかかるコストと同等であることはメリットです。

また、私の研究テーマであるシロアリの腸内細菌を研究するうえでは、AGMにより共生しているバクテリア同士をペアの状態で単離できる点がこれからの研究で役立つと考えています。

「AGM™試薬キット」を使って1細胞でゲノム解析を行う理由や、1細胞ゲノム解析とメタゲノム解析がどのように相補するのかについて、もう少し踏み込んでお聞かせください。

続きは「東陽テクニカルマガジン」WEBサイトでお楽しみください。